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「先生」について

こんにちは、Nollです。
たまにnoteを開いて、文字を打っていると一昔前のタイプライターを操作しているみたいな気持ちです。面白いです。

さて、今日はふとしたときによく聞く「薬を服用しようと、手術しようと最終的に貴方を治す医者は貴方です。」という言葉について思ったことを書いていこうと思います。なぜかわかりませんが、気になってしまいました。

ここ数日よく「こころ」の上をのめりこむように読み返しています。「私」は先生を海辺で見つけた人をずっと「先生」と呼びます。「先生」とは


せん‐せい【先生】
①先に生まれた人。↔後生こうせい。
②学徳のすぐれた人。自分が師事する人。また、その人に対する敬称。「徂徠―」「お花の―」
③学校の教師。「担任の―」
④医師・弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称。「―に診てもらう」
⑤他人を、親しみまたはからかって呼ぶ称。
⇒先生と呼ばれるほどの馬鹿でなし
広辞苑 ページ 11260 での【先生】単語。https://sakura-paris.org/dict/%E5%BA%83%E8%BE%9E%E8%8B%91/content/11260_530

自分より何かに秀でている人を呼ぶときに多く使われている(と思われる)敬称です。でも本当の「先生」ではないと最初に断っています。しかし、思い当たることがあって、「この人(先生)は自分(私)より目上だ」と直感したのかもしれません。多分、年齢だけでなく、自分に欠けている物事かも。

また、セネカの「人生の短さについて」でも、「自分の時間を支配できる者は自らの主人となる。」という文面が事細かに記載されていました。「主人」を英語表記にするとLand Lordというのは一番しっくりくる気がします。Landは土地、Lordは主人、支配者、君主の人を表します。時間を土地に置き換えてそれを支配する人と著したのはすばらしい想像力だと頭が上がりません。

芥川龍之介は晩年の小説兼自叙伝の書き物に「ドッペルゲンガー」を登場させました。もともも神経質で不眠を患っていたために大量の睡眠薬を常備していたそうです。また、副作用として強い依存性があったり幻覚を引き起こしたり云々。ただ気になるのは、それがドッペルゲンガーだったこと。あと、これが、ドイツ語であることです。鏡写しの様に自分が居た自分の近くにいたのでしょうか。

ゲーテの代名詞「ファウスト」では、主人公ファウストと悪魔メフィストフェレスの対話がてんこ盛りです。

ビジネス本というと多少語弊があるかもしれませんが、ああするには、こうするにはと言ったアドバイスを書いた記事などは基本的に読み手に行動を仰いでいます。それは最終的には上に書いたように「自分」に返ってきます。

賢くあるのも、広義の意味での先生になるも、健康であるも、鍛えられるも、最後は自分が何を取り入れ、反対に何を外したかによって成り立ってくるような気が最近ずっとしています。書いた人、その作品の中に出てくる物や見方、その登場人物の振る舞い、思考が必要なことを取捨選択する為の手伝いをしてくれるかもしれません。夏目漱石やセネカ、架空の登場人物のジェシカ・フレッチャーやヴェラ、ハーリークィンなど。

一つ思い当たるのは、その大元はH・ニーチェの書いた「ツァラトゥストラ」言った結論超人になってくださいという思想体系が構築されたからかもしれない。漱石や芥川は、洋書に対しての抵抗がなかったので、そういう哲学書の内容をしっていたのではと思う。ニーチェはそのほかの多くに著名人に影響を与えたとされています。

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