「成り代わり」について
こんにちは、Nollです。
見出しのイラストをご覧になって何を思うでしょう。
昔、よく読んでいた漫画の一つに「ムヒョとロージーの魔法律相談事務所」がありました。中でも「なりかわり」のお話は漫画の時から繰り返し読んでいたくらいです。ただただ知的好奇心が旺盛でいろんなものに興味をもっていた、けれどもその容姿を親や姉妹が見せたくなくてひたすら優しい言葉を掛け、お留守番させられていました。しかし事実を知ったが為に狂ってしまい容姿と人生に固執する少女でした。最後の執行される瞬間に「どうして。」と宙に向かって呟いていくシーンはなんというか他人事のように思えませんでした。誰かの顔を剥いで、処刑されるわけではないのですが。そうなるに至った過程は身近で誰にでも起こりうることの様に思います。輝いて見える誰かを妬ましく思うのはあるのではないでしょうか。
重大なネタバレをした後に言うのもなんだけどもその「過程」を説明するよりぜひ手に取って読んでみて頂きたいと思います。電子でも紙媒体でもいいので。
原作の先生が、そのテーマを取り上げようと思われたのはなんでなんだろうとふと思ったのと、「なりかわり」自体は現実では魔法律というものはないので裁けないが、実際には溶け込んでいるような気がします。
それからもう一つすごく好きな作品の成り代わりといえばキングダムハーツの358/2のラストかもしれません。ラストは胸が痛いくらいでした。
「今のあたしがどう見える?もし違う男の子に見えるのなら、これが.....」
ここで止めておきます。
元は人形だったけど、相手から何もかもを奪って自分がその相手となっていく。自分が自分じゃないって違和感がやばい、って思います。こう書いていて自分でも何言ってるんだろうって思う。笑
ちょっとわからなくなってきた。
いろんな文豪の話の土台は著者の実体験や見聞、もしくは当時の事件を扱うのが多いと思います。一例ですが、ポーが「黒猫」を書いたのは当時の「禁酒法の制定」が関連していたり、本人が依存症だったからだったり、夏目漱石が先生なのもあるために「坊っちゃん」を執筆したり、森鴎外が実体験を記録するために「舞姫」ができたとされたり、ロバートウェストールは戦争を息子に伝えるのに「機関銃要塞の少年たち」を書いたり。ディケンズは小説を書きながら「食」についてを書いたとか。諸説ありますが、やっぱりだいたい本人に起こったこと(や性格)が基盤に思えます。どんなことであれ、自分で自分を取材したような感じに思います。*個人的に受け付け難い物も中にはありますが。
取材がされていたり土台が堅い主題になっている事象は、それが起こるかもしれないことと認知しておくだけでも不幸を遠ざけられるのではないかなと思います。「成り代わり」と「置き換え」は全くの別物だと心しておきたいですね。
そこから不幸にならないようにするには???「良書を読むべきだ!!!!一回ではなく何度も何度もな!!!」
最後は、メガホン付きで大先生に締めを掻っ攫われましたね。いろいろ読んでみます、大先生。
一つの名前を持った一人が、別の人の名前や人生を生きるのは不可能なのだと成り代わりの話を思い出す度に思います。
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