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書きたい気持ち。

ただいま。あっという間に、noteに戻ってきた Kaori ですw。

一昨日、note、毎日更新100日間を無事に達成し、連続投稿は一旦終了です、と綴ったばかり。

100日目の記事を投稿した、まさにその瞬間は...
「Mission Complete!! もう毎日書かなくてもいいんだ。お疲れ〜、ワタシ」
と解放されたような気分に浸る。

それなのに、翌日の夜には...
「あれれ?、なんか、今日物足りなくない?なんか、やり残しがあるような気持ち悪さが...。うーん...。何だろう...。」

そして、2日目の今日...
「あぁ、分かった!文章が書き足りない!」と気づき、noteを開いて、こうして、自分の気持ちを綴っている。

何と、早い出戻り娘なのだろう...。

でも、考えると「文章が書き足りない」ワケない。そんなことありえない。

仕事に復帰し、毎日恐ろしい程、文章を書いているはず。会議の議事メモ、セミナーの要点メモ、メールでのやりとり、報告資料、議論用資料....8時間の勤務時間は、ほぼ話しているか、書いているか、のどちらか。

それなのに、それでは満たされないワタシの「書きたい気持ち」。

「文章」って何だろう。

ぶん‐しょう〔‐シヤウ〕【文章】 の解説
1 文を連ねて、まとまった思想・感情を表現したもの。主に詩に対して、散文をいう。
2 文法で、文よりも大きな単位。一文だけのこともあるが、通常はいくつかの文が集まって、まとまった思想・話題を表現するもの。
3 威儀・容儀・文辞などとして、内にある徳の外面に現れたもの。

そう、そうだ。
文章とは「まとまった思想・感情を、文を連ねて、表現したもの」なのだ。
この定義を読んで、ストンと納得した。

私の心が満たされないのは「文を連ねること」が足りないからではない。
私の心が満たされないのは、自分の「思想・感情を表現」したりないから。

作家でも、コピーライターでも何でもない私。それなのに、100日という時を経て、noteは、私の思想・感情を表現する「場」になっていたと気づく。

もし、SNSが、純粋に「個々の思想・感情を表現する場」になっていれば、そこで発信している人は、みんなアーティストで、そこで受信している人はみんな、美術館に足を運んでいる鑑賞者なのだろう。

そう考えると、少しだけ、SNSの見え方が変わるような気がしませんか。

本日も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
また、遊びにきてくださいね。おやすみなさい。

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