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「読書感想文」世界は贈与でできている

こんにちは。mikaです。

最近この本を読んでいろいろ思うところがあったので、あまりネタバレにならないように、うす~く感想を書いてみようと思います。

「世界は贈与でできている」というタイトルを見たとき、いったいどんなことが書かれているんだろうと気になったのが、この本を手に取ったきっかけです。

わたしはこの本が好きで3回読んでいます。

ちょっと理屈っぽいと思うところもあるし、完全に理解できないところもありますが、よくわからないものをひとつずつ丁寧に解きほぐしていく印象があって、そこが好きなんです。

この本では、お金で買うことができないものを「贈与」と呼んでいます。

私たちは「お金で買えないもの=贈与」を必要としているのに、その正体がよくわかっていない。そもそも「贈与」って何なの?というところから始まっています。

例えば、同じ時計でも「自分で買った時計」と「プレゼントされた時計」では価値が違います。

商品としては「同じモノ」ですが、プレゼントされた時計は世界にたったひとつしかない「〇〇さんからもらった時計=特別な存在」になる。商品である時計が単なる「モノ」ではなくなって特別な価値が付与される。

人間は自分ひとりでは、本当に大切なものは手に入れられないのだと書かれています。
だから人間は「贈与」を必要とすると。

ほかにも「贈与」と「交換」について書かれた部分があります。

そもそも資本主義は「交換」の原理で成り立っていて、お金を出してサービスや商品と引き換えます。
「交換」というのは「私はあなたに○○をしてあげる。それで、あなたは私に何をしてくれるの?」という世界。「商品を売ってあげる」、「サービスを提供してあげる」だから対価を払ってねということ。

そこには「負い目」や「お返しをしなければ」という感情はありません。
だって、ちゃんと対価を支払って義務を果たしているから。
それ以上でも以下でもなく、そこで完結します。


一方「贈与」は受け取った人が「私はこれを受け取った」と気づいた時点で初めて「贈与」となります。

プレゼントをもらうなどのわかりやすい「贈与」もありますが、誰かからの愛情など目に見えないものや、何年も経ってから気づくものもあります。

つまり、受け取った人が「贈与」だと気づかないと始まらないので、差し出す時点では「あなたは私に何をしてくれるの?」はなく「交換」を求めていません。

「贈与」は「交換」とは違って「受け取った相手が気づいてくれるといいな。届いてくれるといいな。」という祈りだと書かれています。

受け取った人がすぐに気づけば「お返し」や「恩返し」という形で返礼されることもあると思います。

でも、受け取った人が永遠に気づかないかもしれない。
もし気づいたとしても、その時には差出人がそばにいないかもしれない。
何かお返しをしたくてもできない状況かもしれない。

「贈与」はその場で完結しない可能性があり、そしてお返しができないという「負い目」を背負うこともあります。

返礼する相手が必ずしも差出人でない場合もあります。
誰かから受け取ったものや想いを、別の誰かや社会につなげていく。
どちらが良いとか悪いの話ではなく、これも「交換」とは違うところです。


私は、この「贈与は祈り」という考え方がとても好きです。

受け取った人が「何かを受け取った」「何かをもらった」と感じなければ、何も起こらない。
差し出す人が決めるものではなく、受け取った人に想いを委ねる。

差し出す人は、誰かに何かを「与える」という考え方ではなく、すでに自分が多くのものを受け取っていることに気づいて、感謝して、その気持ちを誰かに贈る。「相手に届くといいな」と祈る。

そういうことを考えたときに、少しあたたかい気持ちになります。
そして、私が学んでいる「コーチング」に通じるものがあるなと感じています。

ほかにもいろんな観点から、著者の「贈与」に対する考えが丁寧に説明されています。

気になった方は一度読んでみてください。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。

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