ののか

日々思うこと 日々読むことを つれづれに

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最近の記事

第3回 積読解消旅 報告書

 第3回と銘打ったが今回初めて報告書を書く。  数年前から年に1~2回、地元のホテルに泊まってたまりにたまった積読を一気に読み進めるのが恒例行事になっている。 きっかけはパンデミック。それまでも一人旅は好きでよく出かけていたが、感染対策のために予定していた旅行は延期することになった。そんな話をした知人に紹介されて地元のブックホテルに泊まった。  地元であってもホテルは非日常感が漂っていて、何より食事・掃除を気にせずひたすら本を読める快適さにはまった。以降それを頼りに仕事をして

    • 喧騒と静寂

      久しぶりに懐かしい感覚を味わった。 ぽっかりできた休日。お盆にも関わらず、むしろこの時期だからこその繁忙期に上司が一日だけれどもと休みをくれた。 その前の週末に普段休日にやりたいこと、やらなければならないことは済ませていたので、久しぶりに一日中本を読むことにした。 朝起きてすぐに漫画を数冊、そして二度寝して、エッセーを手に取る。趣味に没頭できる休日にニヤニヤしてきた。 ところが、夕方になって一息つくと急に手が止まった。 うん、今日はもう無理だ・・・・ さて、どうしよう

      • 自分を再認識する

        最近、自分のアイデンティティについて考える。 私はクリスチャンだ。 ということにすごく敏感になっている自分に戸惑っている。 衝撃的なニュースとともに始まった一連の報道の中で、「宗教」というものに関わることがマイナスに報じられ、「カルト」「宗教」という言葉が恐怖や不安の感情とともに語られた。 そんな話を耳にするたび、「教会」という文字を目にするたび、心臓がドキドキして、自分に向けられた言葉/感情でないことを確認した。 それと同時に、自分の中に思ったよりも深く「クリスチャ

        • 相棒へのメッセージ

          「沈黙のパレード」を見てきた。 テンションが高いまま、勢いに乗ってこの文章を書いている。 多少おかしい内容でもどうか気にしないでほしい。 やっぱり私にとって「探偵ガリレオ」シリーズは特別な物語だ。私に「物理」という「科学」の世界、そして「数式」という言語を教えてくれたのが湯川先生だった。 湯川先生は、常に冷静で論理的な変人学者として描かれている。 親友の草薙刑事からは「変人」扱いされ、今回の映画予告では「血も涙も無い!」というセリフが何度も流れていた。 けれども、湯川先

        第3回 積読解消旅 報告書

          絵画という扉

          美術館に行ってきた。 特段美術に詳しいわけではないけれど、気になる展示会があると年に1、2回は足を運ぶ。時たま思いがけず心揺さぶられる絵に出会うことがある。 先日もそんな絵に出会った。通路を進み、後ろの壁に展示されている作品を観ようと振り返って、思わず息をのんだ。 そこには深く静かな水が広がっていた。 じっくりと見つめているとまるで体が絵の中に引っ張られるように感じた。視界いっぱいに広がる水の中にゆっくりと沈んでいくようだった。 私が心揺さぶられる作品はそうした「世界

          絵画という扉

          スープの魔法

          一人暮らしの厄介なところは自分の機嫌を取るのが自分しかいないことだ そううそぶきながらグツグツと野菜を煮込んでいく。 いくつかの仕事が重なり、疲労が重なっていたところにミスを犯して心身ともに限界を迎えていた。 これではだめだと気付き、早々に家に帰ることにした。 こんな日にすることはいつも決まっている。 ご飯を食べて、お風呂に入り、ぐっすり寝ること。 しっかり食べて、しっかり寝れば何とかなる。 母はそう言いながら、野菜たっぷりのスープを出してくれた。 食べなれた優しい

          スープの魔法

          焦りと憧れ

          小さいころから何かにあこがれることが多かった。 いつかあんなことをしてみたい、いつかああなりたい、いつか・・・ 小さな願いがシャボン玉のように浮かんでは私の周りをふわふわと漂っていた。 シャボン玉たちはたいていあっけなく消えていったけれども、長いあいだ頭の片隅に残っているものもいる。 その中のひとつが、行きつけのカフェをつくること。 本好きなら誰もが一度はあこがれたことがあるだろう。 小さいけれども居心地がいい静かなカフェ 木のカウンターがあり、向かいではマスターが慣れ

          焦りと憧れ