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自分を再認識する

最近、自分のアイデンティティについて考える。

私はクリスチャンだ。
ということにすごく敏感になっている自分に戸惑っている。

衝撃的なニュースとともに始まった一連の報道の中で、「宗教」というものに関わることがマイナスに報じられ、「カルト」「宗教」という言葉が恐怖や不安の感情とともに語られた。

そんな話を耳にするたび、「教会」という文字を目にするたび、心臓がドキドキして、自分に向けられた言葉/感情でないことを確認した。

それと同時に、自分の中に思ったよりも深く「クリスチャンである」という意識が根を張っていたのに気づいた。
生活、考え方、仕事、ふとした瞬間にクリスチャンホームで生まれ育った経験が現れてくる。

考えてみれば当たり前だ。食事のたびに祈り、学校に通うより長く教会に通い、童謡と同時に讃美歌を習った。そんな生活が普通だった。

大人になってだいぶいい加減になったとは思うが、はたから見たら十分に「クリスチャン」であり、「信仰者」であり、「宗教」に関わる人なのだ。決して「普通」な日本人の生活ではないのだ。

そのことを改めて認識した。そしてそれなのに、私のアイデンティティにキリスト教が深く絡みついていることを軽視し、時には意図的に周囲から隠していたことにも気づいた。私は私を軽視し、隠していたのだ。

気づいてみて、これからどうしたらいいのか戸惑っている。
この私は表に出してもいいのか、隠しておいた方がいいのか。
宗教は危険なのか、安全なのか。
私の信仰は正しいのか、間違っているのか。

私は他者からは実際、どう認識されているのだろうか?
今日私がすれ違った人は、何をアイデンティティとしているのだろうか?

あなたの心に根づくアイデンティティは何ですか?

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