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宇宙エレベーターはいつから空想上のものではなくなったのか



今日は宇宙エレベーターはいつから空想上の話だけではなくなったのか、つまり宇宙エレベーターの歴史について書きます。
(歴史っていうと固く感じるかもしれませんので、なるべく柔らかく書きます。)

概要
1.いつ、誰が発案したの?
2.なんで空想の話じゃなくなったの?


1.いつ、誰が発案したの?

そもそもこの構想は誰が考えたのでしょうか?

実は、空高くまで建築物を伸ばすというアイデアは大昔からありました。
例えば、旧約聖書に登場する「バベルの塔」「ヤコブの梯子」、イングランドの民話「ジャックと豆の木」等がそれにあたります。


最初に具体的に「宇宙エレベーター」を考案したのは「宇宙工学の父」と呼ばれたロシアの科学者、コンスタンチン・ツィオルコフスキーです。

彼は病気で聴覚を失い、大学や学校で勉強する可能性を失いました。
しかし独学で数学や天文学を学び、現代のロケット開発に大きな貢献を残しました。
そんな彼はエッフェル塔から着想を得て、1895年、赤道上から塔を建てていけば静止軌道半径の高さで重力と遠心力が釣り合うという計算を発表しました。当時はあまり注目されませんでしたが、これが最も早い宇宙エレベーターの発想と言えます。(現在では下から積上げていくのは困難と分かっています。)

ツィオルコフスキーが下から積み上げていく構想なのに対して、ソ連のユーリ・アルツタ-ノフは「天のケーブルカー」と称して静止軌道からケーブルを上下に伸ばしていく構想を1,960年に発表しました。
こちらの方が現在の宇宙エレベーターのモデルに近いため、ユーリ・アルツタ-ノフが「宇宙エレベーターの父」と呼ばれることが多いです。

それに影響を受け、世界を代表するSF作家アーサー・C・クラーク(代表作:2001年宇宙の旅など)は地球と宇宙空間を結ぶ全長4万kmの宇宙エレベーターを題材にした長編SF小説「楽園の泉」を発表しています。
(興味ある方は読んでみて下さい)

アーサー・C・クラークの他にも多くのSF作家、小説家が宇宙エレベーターを題材にした作品を世に出してきました。


2.なんで空想の話じゃなくなったの?

一方、研究面では、1975年、ジェームス・ピアソン氏が自身の研究結果から、ケーブルの形状はまっすぐなものではなく、先細りのものが望ましいと主張しました。

また、全長数万キロのケーブルが引っ張られることに耐えられる材料の必要性を訴えていました。(いわゆるものすごく強い材料)

しかし当時、この条件を満たす材料はありませんでした。
(必要な破断長は4,960kmだけど、鋼鉄50kmケブラー繊維200km・・・)

ところが1991年、日本の物理学者 飯島澄男 博士がCNT(カーボンナノチューブ)を発見したのです。
このCNTは極めて高い引張強度(鋼鉄の100倍)を持ち、ケーブル材料の条件を満たしていました。

CNTの破断長は5,000~1,0000km!

これにより、宇宙エレベーターの最重要課題「ケーブル材料」が解決の可能性を持つということが分かりました。


その後1999年~2000年にNASAの2つのグループが研究を発表した後、
2001年のNASAのNIACプログラムに宇宙エレベーターが採択され、本格的に研究されました。

(NIACとは、「SFのような構想を現実にするためのプロジェクト」で、毎年応募されるアイデアの中から数件をピックアップし、それぞれのアイデアにNASAが10万ドル(約1,100万円)の研究費を与えてその実現可能性を探るプログラムです。)

このときブラッドリー・C・エドワーズ博士が実現可能性を研究した結果、「理論上実現可能」ということが判明しました。

↑ NASAの構想するspace elevator

これにより、宇宙エレベーターは最早空想のものではなくなりました。


このとき発表された宇宙エレベーターは1基年1,500tの静止軌道への輸送が可能(これはspaceXのFalcon Heavy 年60回分の打ち上げに相当)で、さらに将来は増設可能ときています。


つまり、宇宙エレベーターが次世代の宇宙輸送機関にふさわしい可能性が強まったのです。


ここまでご覧いただきありがとうございました。

参考文献

The orbital tower: a spacecraft
launcher using the Earth’s rotational energy


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