見出し画像

《後編》藤井風「帰ろう」は働くことに悩む人への応援歌~(読書記録『アドラーに学ぶ よく生きるために働くということ』)~

《前編》では藤井風さんの「帰ろう」の歌詞の解釈を、勝手にあれやこれやと書きました。
本物のアドレリアンからは「アドラー心理学の解釈間違ってる」と、風さんファンからは「けったいな解釈せんといて!」と、怒られそうですね……
でも、もし一人でも「なるほど、その解釈もアリね。ちょっとこころが軽くなったわ」と思っていただけるなら、と考えるだけで(仮に一切そういう反応がなかったとしても)、私としては貢献感があるのでそれで十分です笑。

読書録も兼ねて、少し補足したいと思います。

この本の要点を簡単に言うと、

●あんたの価値は、能力でも生産性でも成功でもないんやで。
●貢献感を持って、自分の価値を感じて、対人関係への勇気を得る。
 それによって、「よく」生きるために、仕事するんやで。
●せやから、貢献感を持てるようにしーや。
 たとえ病気になっても、年老いても。気の持ちようやで。
●そのために、共同体感覚を持ちや。

このように理解しています。

Q.働く理由 って、何なん

A.自分に価値があると思えるために働く

人生の3つの課題
 アドラーは、人生には次の3つの大きな課題があるとしています。

 ①交友の課題 ー 共同体生活(対人関係)
 ②仕事の課題 ー 仕事
 ③愛の課題  ー 性

そして、この課題を解決できるのは、
共同体感覚を十分持っている人だけだ
としています(『生きる意味を求めて』p.37)。

なぜか。

3つの課題はいずれも対人関係の問題。人は一人では生きていけない
対人関係の中に入っていくには、時に勇気がいる
 すべての悩みは対人関係の悩みである。
 また、良好な対人関係を築くために、勇気ある状態である必要がある。
自分に価値があると思える時にだけ勇気を持てる。
自分に価値があると思えるのは、自分の行動が共同体にとって有益である時だけである(自分がそう感じることができているか。要は貢献感を持てているかどうか。
●自分の行動が共同体にとって有益となるためには
(そして、有益であると思えるためには)、共同体感覚が必要(他者に関心を持って、共同体のことを考えて働かなければならない。)

つまり、

★共同体感覚を持って働き、貢献感を得られたならば、
(自分の行動が共同体にとって有益であると感じられるならば、)
自分に価値があると思うことができ、
人生の3つの課題を克服し、
★対人関係の中で生きる喜びや幸福感を感じて生きていくことができる。

ということになります。

だから、この文脈でいえば、
自分に価値があると思えることが、働くことの第一義となります。

Q.共同体感覚って、何なん

 働くことによって自分に価値があると思うことができる状態、すなわち
共同体感覚のある状態とはどういう状態なのでしょうか。

 先述のとおり、「他者への関心」があることがポイントです。

 そして、その他者は敵ではなく仲間であると考えることが必要です。
 そのためには、競争的な考えは排除しなければなりません。
 また、行動の目的・意味づけが私的なもの(私的論理)ではなく、
共同体(属す集団という意味にとどまらず、過現未の生あるものないもの含む宇宙全体)にとって有用であるようにする必要があります(コモンセンス)。

 他者との関係を競争と捉えると、どうなるか。
 以前書いた記事「競争社会に競争心は必要か―ゲームが嫌いだった私―②本題」で、不適切な目標についてゲームを例に書いたことがありますが、競争の場合、勝ち続けなければ自分に価値を感じることは難しくなります。
 そして、通常、勝ち続けることは困難なように思えます。

Q.貢献感を持つのに必要なことって、何なん

 これは、気の持ちようとしかいえないのかもしれません。
 でも、共同体感覚があれば、貢献感を持ちやすいということはいえそうです。
他者は敵だと考える場合、敵に貢献したいとは思えません。
 他者は仲間と思えるからこそ、自分の行動が共同体にとって有用になるようにしようと思えるのであり、
そういう行動をしていれば、貢献感を得られることも多いでしょう。
 自分が生きていること自体が貢献だと思えるようになるかもしれません。

 岸見氏は、「あれやこれやのことができなくなっても、何らかの形でまわりの人に貢献できると思えることが、老年期の危機を乗り切るために必要」だとしています。

 また、「働くこと自体よりも、働くことも含めた生にこそ価値がある」としています。
 後者は、内村鑑三が死ぬときに何を遺せるかを考えた『後世への最大遺物』を紹介する文脈での言葉です。
 「後世の人に、何らかの仕方で自分が生きていたということを伝えること」ができる。それに触れた後世の人が、その生き様から勇気づけられたとしたなら、ものすごい貢献です。

 藤井風さんは先日のライブの最後、次のような言葉を発しています。

Thank you for watching. Thank you for coming. Thank you for being.
見てくれて、来てくれて、そしていてくれてありがとうございます。

 いてくれてありがとう。いるだけで貢献できているんですよ。
と、勇気づけられる言葉です。

 ぜひ、ライブもご覧ください。

Q.具体的にできることって、何なん

話が若干抽象的になりました。
本書の中では、もう少し具体的なアドバイスもされています。

自分にしかできない仕事はない
 他の人でもできる。だから、「この仕事しかできない」と思って特定の仕事に固執する必要はない。
 何をするかは大きな問題ではなく、自分の力を活かすことで貢献感を持てる仕事であれば、何をしたっていい。
 逆に、自分の力を活かせない職場にい続ける意味はない。
 また、他の人でもできるからこそ、他の重要な人生の課題を犠牲にしてまで仕事に精を出す必要はない。

自分にしかできないこと
 自分にしかできない仕事はなくても、自分にしかできない仕方で取り組むことはできる。

思い描いていた仕事と違ったとき
 自分の考えが正しいと思うのであれば、自分が現実を変えていく努力をすればいい。仕事のあり方や職場の環境を変えていくことができるし、そうする責任がある。
 上司の部下への対応が理不尽であるとか、部下の考えが間違っているなどという場合、そのことを看過せず(受け入れられるかはわからないが)主張しなければならない。

仕事の価値を知る
 その仕事がどのように他者に貢献するものなのかを知る。

承認は必要ない
 仕事が他者に貢献できるものであることを理解し、貢献できる自分に価値があると思えれば、たとえ周囲から注目されず、直接感謝を伝えられることもなく、ほめられることもなくても、不満なく仕事を続けられる。

ほめない
 相手に対しては、相手の貢献に注目する。
 そして、「ありがとう」「助かった」といった声かけをする。
 そうすれば、相手は共同体への貢献を感じることができ、自分の価値を実感することができる。
 ほめてしまうと、行動の目的がほめられること(承認欲求)に変わってしまい、ほめられない限り自分に価値を感じられなくなってしまう。だから、ほめない。

自分自身について

自分自身、モヤモヤしていた点がいくつかありました。

①周囲からの評価
 そんなの関係ない、と、ある程度までは思えているつもりでしたが、本当に100%そう思えているのか、考えさせられる場面が実際にあります。
 評価を気にする限りは、不安な気持ちが生じます。
 「もうどうでもいいの 吹き飛ばそう」
 評価は持っていたって、去り際の時に持っていけません。
 貢献感をたくさん感じるようにしたいですね。

②代わりが効くこと
 代わりが効かないとすれば「あなたがいないと困る」となります。
 必要とされるというのは、なんとなくうれしくなっちゃうもので、
 逆に、代わりが効くと「あんたがいなくても困らん」といわれているようで、さみしくなるような気がしていました。
 でも、実際には代わりが効く。
 もちろん、だからといって自分はやらなくてもいいというわけではないので、そういう無責任な姿勢になることはいけません。
 でも、必要以上に「自分がやらなくては」「それもこれも私がやります」というのは、もしかすると「本当にその仕事はわたしにしかできない」のではなく、「自分に代わりが効くことを認めるのが不安で、やっている」のではないか。
 そうじゃない。代わりは効くんだよ。そのうえで組織としてうまく仕事が進み、みんなが気持ちよく仕事できているなら、あとは自分が貢献感を感じられていればいいではないか。自分の役割に固執しなくていい。

 「少し背中が軽くなった」かもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?