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Amazing Japan...?

 コロナ禍でやめたものにTVがある。なので、今はもう気にならなくなったが、そもそも日本に関心のある外国人をリサーチ対象とした「日本はスゴい」系の番組があまり好きではなかった。日本の大手メディアが取り上げるのは国内のニュースや日本に関する話題が多く、世界における日本の立ち位置を過大評価しすぎてしまう懸念があるように思う。

 20年以上も前にトルコを旅した時、どの店やホテル、レストランでも、「チャイニーズ(中国人ですか)?」と聞かれて驚いた。今でこそ、ヘアメイクやファッションもボーダーレス化が進んでいるが、シンガポールに住んでいた当時は、「ポーリアン」(日本人コミュニティでは、シンガポーリアンを略してこう呼んでいた。)の友人たちからは、ファッションや振る舞い方から、日本人はほぼ見分けがつくと言われていたからだ。

 トルコは日本からも遠く、アジアはきっと十把一絡げに捉えられていたことは容易に想像できる。おそらく現地における「チャイニーズ」の存在感は、「長距離旅行者」というより、世界各地に進出している華僑の活躍によるものだろうとその時は理解した。トルコは親日国だったから、日本人だと伝えると皆、顔をほころばせてくれたのが嬉しかった。

 しかしトルコ同様に、東アジア・東南アジア圏外では「チャイニーズ?」と聞かれることが明らかに多かった。日本という国名の認知度はそれなりにあっても、日本人や日本語、その行動様式に対する認知度の圧倒的低さを実感させられた’90年代。

 一方、モロッコ・マラケシュ市内のホテルの朝食ビュッフェでのデジャヴュ体験はわずか数年前だ。私は大好きな目玉焼きを必ず注文しに行くのだが、三日目になり見慣れたからか、厨房スタッフが「チャイニーズ? コリアン?」と聞いてきた。「ノー、ジャパニーズ」と応えると「本当!? 僕、日本人に会ったの、生まれて初めてだ!」と嬉しそうな笑顔を向けられた。・・・またか。

 コロナ禍前は、観光ビザの免除や格安チケットの普及も進み、世界は大旅行時代を謳歌していたはずだ。にも関わらず、20年以上たっても日本人の存在感はほとんど変わっていないのだと思う。卵料理担当の彼が、翌朝からも輝く笑顔を向けてくれたことから、日本人に対するイメージが悪くないことには感謝したが。

 日本がG7サミットのメンバーであることも、私たちが日本は世界の主要国であり、世界から関心を集めていると勘違いさせる一因になっているのではないだろうか。実際、G7なんてものはメンバーではない国や地域にとって関心の低い会合なのではと思う。G7の略語が意味するものは「The Group of Seven 」であって「The Great 7」ではない。

 日本をことさら卑下するつもりはもちろんない。2019年の11月、初来日だというアメリカ国籍のハイエンド層をアテンドしたことがある。日本は彼にとって訪問71カ国目だと言っていた。つまり、日本より先に、彼に選ばれたデスティネーションが70もあったということだ(やっぱり日本の立ち位置なんてそんなものだ。)

 救いだったのは、日本が空港のトイレから街角の道端にいたるまで掃除の行き届いた清潔な国であること、携帯電話や財布を無造作にテーブルに置いたままでも安全な国であること。に、始まり、英語は通じないが笑顔を絶やさず懸命にニーズに応えようとしてくれるスタッフや、分刻みかつ定刻通りに行われる新幹線の運行、豊かな自然と融和しつつ長期にわたり保存されてきた歴史文化等、滞在が進むにつれてこの国の価値を大いに見出してくれるようになったことだ。「文化こそ日本の凄みだ。僕の人生観を完全に変えてしまったよ。愚かだった。なんでもっと早く来ようとしなかったんだろう」。

 今でも、彼がSNSで日本について語る時、最後は「I love Japan♥」の一文で締めくくられる。実際に、目の前で日本の文化を褒めてもらうことは嬉しいものだ。それでも、世界の多くの人々にとって日本はやっぱり「国名」の一つでしかないし、その程度だと認識できるリテラシーも、とくに国内では必要だと思うのだ。

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