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お義父さんの工房で

先日、夫の父の敷地内にある陶芸工房で陶芸の基礎を教えてもらった。

お義父さんは全く目が見えない。

リタイアしてニューヨークからマウイ島に移住して、数年後に盲目になってしまった。

アメリカ本土の数件の眼科に行ってどうして突然目が見えなくなってしまったのか相談したが原因はわからなかったそうだ。

その義父は簡単な調理をする際、包丁でフルーツやパンなどもカットするし誰かが来たらワインもグラスに注ぐ。

トレッドミルで毎日運動もするし、コロナ禍の前はフロリダにも一人で旅行に行った。

そして私に陶芸の基礎、粘土の扱い方を教えてくれた。

義父はこのように底になる周り縁にも、感覚で線を引くこともできる。

私も見様見真似で初めて粘土に触ってみた。

麺や汁もののためのスープボールがほしいと思ったのでこのような形にした。

ここから乾かして塗料を塗り、また乾かして焼くらしい。

しかしお義父さんの家に行って数時間いる時間が確保できるのはちょっと先になってしまいそう。

お義父さんの家から見た陶芸工房
Mさんの作りかけの作品だったらしい
染料もたくさん残されている

お義父さんには長年連れ添っていたMさんという日系アメリカ人のパートナーがいた。

陶芸工房はもともとMさんのためにつくられたのだが、Mさんは数年前、認知症になりニューヨークのMさんの娘さんのところに戻っていってしまった。

Mさんは本土の美術大学で陶芸の教授をしていたそうだ。

私が三年半前に初めてお義父さんを訪ねた時、お義父さんは陶芸工房で、ひたすら粘土をねっていたことを覚えている。

Mさんがいなくなり、とても寂しかったのだろうと思う。

そして一年半ほど前から、知り合ったパティさんが週のうち4日は泊まるようになってお義父さんもだんだん元気が出てきたようだ。

パティさんが来るようになり、お義父さんは陶芸工房で過ごす時間が減ったようだ。

パティさんが自分のコンドに戻っている夜はお義父さんはパティさんに電話してずっと長話をする。

お義父さんの生き様は、人は悲しみから何度でも立ち直ることが出来ることを証明してくれている。


こんなnoteもやってます。よかったらのぞきに来てください。


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