呟きもしなかった事たちへ_No.32(2022年2月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら索引もあります。

「ふわふわたっとん」のイエティを買った。かわいい。「野地」は北京語発音でイエティ(語勢は省略)なので実質このかわいいぬいぐるみも野地家の一員である。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

スープ

クノールのコーンスープ、甘すぎるなと思い一時期じゃがいものポタージュばかり飲んでいた。しかしこの間コーンスープを飲んだら記憶より美味しい。さては自分の味覚が変わったかと思ったがポタージュは変わらず美味しい。昔の甘すぎると思った感覚が何か気の迷いだった気がする。ごめんコーンスープ。

あるいは、作り方が正しくなったからかもしれない。以前作り方が間違ってた話はこちら。

Quality of Life

以前、「食器用スポンジが2‐3か月持つ」とか書いていたが、前買っていたのがタイミング悪く変えず、安いのに変えたら1か月で持たなくなるようになった。ああそういう事?

話は変わって、僕は髭剃りはT字の使い捨て剃刀を使っているのだけれど、これもまぁ使い終わりが分からない。昔よりモノが良くなっているし、シェービングジェルも良くなっているので、これもスポンジと同じで、駄目になったりしない。しかしまぁ勇気を出して新しいのにしてみるとちゃんといい具合に剃れるのよな。どうなってるんだ。

ちゃんといいモノを定期的に買おう。そういうリアルさ、大事だ。

コーヒー万事塞翁が馬

鬼そば屋の主人が、年越しそばを頼んだ際のサービスでコーヒーの粉をくれた。もともと家にコーヒードリップを置いた理由も、在宅勤務になってから彼がコーヒーをくれたから(経緯はこちら)なのだけど、今や在宅勤務をしなくなって家でコーヒーを飲む機会がガッツリ減っている状況だ。

一瞬困ったが、こうなるといよいよ水筒を買って、自作コーヒーを会社に持って行くべき時なのだろう。それもありかとAmazonで水筒をポチる。人生で初めて自分で水筒を買った。生活が変わっていく。

水筒によって一番驚いたのは、コーヒーが冷めない事だ。僕は会社ではホットコーヒーが冷めたものを飲んでいたのだけれど、コーヒーが冷めなくなったので昼過ぎに水筒から一口飲むたびに驚いている(あっつ!)。生活が変わっていく。

程なくして、嫁から、最近は帰宅しても元気だねと言われた。思い返すと、コーヒーが冷めないので何時までもチビチビ飲んでいる結果、コーヒーを飲み終わるのが遅くなっている。カフェイン効果がより遅くまで持続している訳だ。生活が変わっていく。

野球・試合編

先月号で書いた通り加入した野球チームで、果たして草野球試合デビューをした。初日2試合は4打数3三振1ゴロ、守備はエラー1だ。ひどい。2回目1試合は3打数1安打エラーなし、大分マシになった。

試合をして一番思ったのは、野球というものの情報量の多さだ。こんなに難しいものだったのか。守備位置はライトだったのだけれど、「バッターのスイングを見てピッチャーの球に対して振り遅れ気味かを確認して守備位置を変える」「その後打球方向とランナーを見てファーストのフォローに行くかセカンドのフォローに行くか判断する」…たった1球でこれを行う事になる。ものすごく集中力を使う。こんなに大変なのか。攻撃時出塁してからも考える事が山ほどある。上手い人は自然にやっている事を頭でやるので、楽しいと同時にすごく忙しい。

ひとまず膝をつく事をちゃんと覚えて、トンネルしなくなる事を覚えなければならない(一応2試合目からは実践できていた)。こうも「全容を掴めていない」事にチャレンジするとまるで新入社員になった気分になる。なるほど、新しいチャレンジというのはこういう形で若返れるのか!転職が人生に有効だ(笑)とか、ゴルフのように30代後半でハマる趣味は一生ものになる(笑)とか、こういう話なんだろうなという気がする。

おいしい

2年前にも触れている、「株式会社おいしい」のクッキーを会社に持って行ったところ、ついに知っている人が現れた。しかし

「あ、これ!おいしいですよね!」

と言われた時の「…どっちの意味だ!?」感が凄い。これ、知らない人にあげる専用なんじゃないか?

天とじ丼

という食べ物があり、これが好きなのだが、そもそもあまりやっている店が無く(新宿の「かど新」さんによく食べに行っていた)、また知名度も低く苦労する。簡単に言えばかつ丼のかつが天ぷらになったものだ。

かつ丼を考えれば、揚げ物は(確かにサクサクな事も魅力になり得るけど)サクサクなだけが取り柄ではない事はすぐに分かってもらえそうなのだが、天とじ丼の話をすると、たまにだが「サクサクの天ぷらをわざわざとじるとかwwwww」みたいな反応が来る。こういう奴は二度とかつ丼を食べないで欲しいし、天丼も食べないで欲しいし、二度と天つゆを使うなよと思う。カツサンドも絶対にこういうやつには食べさせたくない。視野狭窄で人を馬鹿にする愚か者だ。なお、調理法という観点から言えば、天ぷらが衣をつけて揚げる事の最大のメリットはその加温方法であって衣がサクサクな事ではないので、天とじ丼は全く問題のない料理だ。

しかしまぁ、改めて、天とじ丼が食べれる場所は少ない。食べたくなった時にどうしようもなく、また理解が得られず、辛いものがある。

打ち上げ

1月に大きめの仕事がドンと片付いた。打ち上げがしたいが、そうも行かない時勢である。しょうがないので1日休みを取ってドーミーインでリフレッシュした。自分のリフレッシュは出来たが、チーム自体がバシっと切り替わったかというとそれは分からない。

Going Concernが社会の基本である事は分かっているのだけれど、何かタイミングがあれば一旦休みは欲しい。仮死というか、仮の終わりを迎えたい。一旦はエンディングテーマを流したい。Get Wildがいい。そういう気持ちは普通にある。なにせ舞台少女にだってある。一旦死んで、決起集会で再起するシステムが欲しい。

打ち上げって"そういうもの"だったよなと思う。ワンピースで必ず最後に宴をやるのも作劇的に次のバトルにいきなり行くものではないからだろう。(ちなみに最後にワンピースの例を出したが、仕事が「ドンと」片付いた事にかけている訳では無い。じゃかあしいわ。)

ヒストリー

1月号に書けという話。

今年も大みそかから年越しにかけてパーティーをやった。結婚してからずっと続いているので、おそらく12回目だろう。

ちょこちょこ何回か顔を出していた人が今年は最初から最後までいたのだけれど、不意に

「なんでそんなに人に料理出すようになったの?」

と聞いてきた。

確かに僕は人を招いて食事と酒を出すことが結構ある。秘密基地でもフード担当をしている。大学生時代も、バイト先(古本屋だ)で賄いを作ったり、付き合っていた女の子の家でご飯を作ったりしていた。どこでこうなったのだろうか、そういうものだと思って生きてきたのだけれど、自分でもあまり自覚がない。

料理自体は両親が共働きだった事に由来して必要性から覚えたので、普段の料理は独学だったし、これは最低限のものだった。改めて考えるに、おそらくは大叔母が家に遊びに来る事が大きかったように思う。大叔母は大が付く美食家だったが、それでもうちの家に来てご飯を食べたがった事は、うちの両親がふるまうという事に意味があったのだろうと、なんとなく思っていた。大叔母が来る際は料理を手伝いながら習う事も多かったが、味付けへの創意工夫(流石に父も母も気合を入れて作っていた)以上に、ふるまうという気概を学んだ気がする。

多分、僕は料理がしたいのではなくて、サーブする(サービス)という事を気にしているんだろう。別に買ってきたものでもそれはいいのだけれど、サーブするうえでは自作の方がやりやすいだけという気がする。実際、大きなお菓子などを買って人の家に行くときは妙に悩むし、逆にかなりフランクな仲の友人が来た際は自分も手を抜きたいと容赦なくピザを頼む。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。