呟きもしなかった事たちへ_No.15(2020年9月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

名作「幽遊白書」には「フルパワー 100%中の100%!!!」というセリフがある。それ100%と何も変わらないじゃんと思っていたのだが、「100%を出せる形態になって、実際に100%を出力したのでは」という分析をネットで見かけた。世の中にはちゃんと考えようとする人がいる。

一方僕はふざけた。

部長命令

基本在宅勤務になってたまにしか出社しないのだが、隣の席の人と2回連続で服が被った。緑のポロシャツである。

たまにしか出社しない→ワイシャツにアイロンをかける習慣を失う→クールビズなので出社時はポロシャツを着る→色が同じだと被る、という分かりやすい構図があるが、それがよりによって隣の席か。当然色々言われる。ユニット、兄弟、etc。勝手に「部長の命令です」と言い返して嘘を広めている。

そしてこうなるとズボンも合わせたくなる。確か彼は茶色の綿パンだった。次回出社時こそは。

コーヒー

鬼そば屋の主人がコーヒーの粉をくれたので、コーヒーを淹れる事を始めた。5月からだ。実は結婚して12年、コーヒーメイカーもミルマシンも場所を取るからという理由で家に置いていなかった。そもそも平日会社でコーヒーを飲むので土日家ではカフェイン抜きをするというのもあり、家でコーヒーを飲むという事をしていなかった。

しかし前述の通り、コーヒーの粉が来た。中挽きだった。(中挽きと相性がいい)カリタ式の3つ穴ドリッパーなら場所も取らないか、と観念してコーヒーを家で淹れる事にした。ポットは買わず鍋で湯を沸かす(スペースをとにかく取りたくない)。

ところでコーヒーのハンドドリップとなるととんでもないマニアの世界で、湯の注ぎ方ひとつで味が変わるという。小さな鍋で湯を沸かし、細い湯は鍋の口から頑張って作るようないい加減なやり方だが、それでもまぁ確かにお湯の注ぎ方で多少味が違ってくる気がする。面白い。面白いが、味が変わるのは思い込みな気もする。

多分、淹れ方の違いによる味の違いが分かり、そうして淹れ方を会得するまでには、同じ粉を2キロくらい消費し続ける必要があるのだろう。しかしそれくらいなら粉を変えた時の味の変化の方が面白いし早いので、この4か月で4回粉が変わっている。

学習意欲が低い。

太った

30代後半だしまぁ仕方ないという話はおいておく。

それよりも、体を使った写真映りが良くなった。ガッツポーズやマッチョポーズのような、筋肉に力を入れている時の感じも昔より良い、気がする()。写真だけではなく、何となく動きが「映える」ようになった。体の動き自体は(歳を取って)多分悪くなっているだろうが…不思議なものだ。プロレスもやはり最後はヘビー級、みたいな話とも同じなのかもしれない(ジュニアのハイフライヤーが華麗に動くのも魅力的だが、なんだかんだいって皆ヘビー級が躍動する方に傾倒していく。)

逆に言うと、バレエダンサーのような、絞っていった先にしかできない事をしているというのはやはりすごいのだろうな。削って削って、その先にある鋭利なもの。確かにバレエとかはそういう感じがする。

生バジル

生バジルをたくさんもらった。在宅時間が増えて手を出した家庭菜園で多くなり過ぎたとの事。割と聞く話だが、とにかくありがたく頂戴する。

さっそくペペロンチーノに入れてみると、びっくりするくらい味が安定する。塩気・辛さ・ニンニクの香りだけで繊細なバランスを取らされていたのが、多少バランスが整いきってなくても香りがあるので一気に誤魔化しがきく。楽だ。

ガパオライスも作った。何も考えずに適当に作ってうまい。ありがたい。チーズオムレツに入れてもうまい。乾燥バジルとはちょっと次元が違う。これが「いいもの」というやつか。いかんな、乾燥バジルにはもう戻れないかもしれない。

とか思ったのだが、乾燥バジルはそれはそれ量を使えばそれらしくはなるのよな。特に不便なく乾燥バジルに戻った。

墓参り

友人の墓参りに、同期に誘われて行った。10周忌だった。同期と墓参りの時に友人の事や思い出を喋り、その後同期は車で来ていたので乗せてもらい一緒に買い物に行ったりした(車中でもよく喋った)。楽しかった。

そういえば、墓に縁が無い。

父方、つまり野地を冠する墓は、両親が東京を離れ隠居をする際に寺と絶縁した。もちろん寺からは息子(つまり僕)が継ぐべきという意見があったのだが、「かつてこの宗派は宗派門下一同の見解として原子力発電所の再稼働に反対されていたかと思いますが、私は原子力発電の再稼働に賛成ですので、宗派門下ではありませんので墓を継げません」と断った結果、絶縁となった。

母方の墓は、広島にあるが、遠く一度しか行った事がないし僕が継ぐものではない。嫁の家は、大分広範囲となる一族で共同管理している墓があるそうだが、実は僕は見た事もない(まぁまず継ぐこともないだろう)。

定期的に行くべき墓というのは、「墓参り行った後、集まった親族で何を食べるか」とか、そういう事をルーティンとしてやっていく形の、人生の要素の一つではないかとも思う。モーニング娘。の歌にある「選挙の日って ウチじゃなぜか投票行って 外食するんだ (奇跡見たい すてきな未来 意外な位 すごい恋愛)」と同じ性質のものだろう。

親族に関してはそういうものを持ってない、という事になる。友の墓は、なるべく行こう。

裏技

8月は3週連続で都内の(というより神田の)ホテルに泊まった。大浴場付き、レイトチェックアウト、夜食サービスがついて一人3000円台という信じられない状況である。

価格破壊が尋常ではない。神田近郊のマンションの家賃が20万オーバーだが、こちとら電気ガス水道Wifi使い放題で夜食まで食べて、月換算21万円を切るのだ。それも本来はトップシーズンの8月だ。定価の半額以下という実態がよく分かる。

土曜日に昼夫婦でランチビールを楽しみ、買い出しをして15時からチェックイン、風呂に入って僕は秘密基地へ。終わったあと10分で戻ってきて、しっかり寝てからまた風呂で目を覚まし、チェックアウト時間までゆっくりする…貴族だ。これが4000円を切る。これでも窮状のホテルの応援になっているというのだから都合がよすぎる。贅沢な王侯生活が善行になる、かつてそんな事が歴史上あっただろうか。


墓参りの話で出てくる友人がきっかけで書いた大昔の(10年前の)文章をアーカイブしています。



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