呟きもしなかった事たちへ_No.9(2020年4月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

これをアップするのは4月1日のはずなので、エイプリルフールネタにしようかしらとも思ったが、準備しているのは3月である。ちゃんちゃん。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

洗う前の米からはそんなに臭いもしないのに、磨ぎ始めると磨ぎ汁は確かに臭いを出し、そして手早く水を変えないとお米に臭いが移る。しかし磨ぎ始める前から本来、ずっと米にはその成分がついていた筈なのだ。「俺が悪いんじゃないっすよ、あんたがそそのかすから…」とか言ってるそいつが一番悪いパターン。米よ、お前よ。

米は今日も問いかけてくる。もしも俺がダメになったらあんたが悪いんだぜ、くさい飯を食うのはあんたなんだぜ、と。

ニンニク

神田に「カープ」というお好み焼き屋があって、好きでよく行くのだけど、実はずっと「ニンニクトッピング」があることに気づいていながら頼んだ事がない。多分これがカープで頼んでいない唯一のメニューだ。

しかし、お好み焼きにニンニク…いまいちピンと来ない。ソース味には合いそうでもあるが、そうだったらもっと世の中で流行っているよなとも思う。しかしにんにくをゴロゴロ入れた焼きそばとか、あまり聞かない(全く聞かないわけではないが、流行っている気配はない)。どういう事なんだ。

安定した美味しさを求めているからこそ通っているので、敢えての冒険というものが出来ぬままでいる。意を決する時は来るのか。少なくともここに書くことで気運を高めていく。

マスクとサングラス

口裂け女の話以来、マスクをしている女性は美人に見えるというのは割と共感のある話のように思う。しかし、マスクをしている男性にそういう補強効果を感じない。これは自分が男性だからなのかなどと悩んでいたのだが、昨今の状況の影響もあって、マスクをつけている人を多く見かけているうちに気づいた。

女性の方が圧倒的に目に力を入れている。当たり前だ。目はメイクの肝だ。ノーメイクがほとんどの男性は結果的に目がぼんやりしている。だから女性は目元だけを見た時に魅力的に見えやすいし、男性にはそうした影響が出ない。

逆に、男性らしさはあごのラインとか引いた口元に出るので、サングラスをかけて目を隠すと何となくかっこよくなったように見えるのだろう。昔知人の女性が「箱根駅伝でサングラスかけてたランナーが超かっこいいと思って見てたのだけど、ゴールしてサングラス取ったらガッカリだった」と言っていたことがある。

口裂け女の逆だ。「俺、かっこいい?…これでも…?」と言いながらサングラスを外すと、そこにはおぞましい目が…。

いや待て、サングラスしながら「俺、かっこいい?」と聞いてくる男、それだけでかっこ悪いな。

肉の人

この2ヶ月で3件、肉を贈った。一方的にそして唐突に送った。

予てから贈り物にはあこがれていた。だが結果は予想以上だった。遠い友人とシンプルにつながった実感がある。自己満足以上の何物でもないのだが、久々にコンタクトを取り、言葉を交わし、良い肉を食べてもらう。友が生きている事が分かる。言い方は悪いのだが、確実に笑顔と感謝の反応がもらえる事も良い。

こういうやり方もあるのだな、と思う。そろそろ伊藤ハムの高いやつとかも贈ってみたい。

電球

電球を持つ手首を返す。片方からだけ、サラサラと音がする。

電球が切れた。風呂場のLED電球と、キッチンの白熱灯で、どちらも同じ時期に切れた。前回キッチンのほうを白熱灯にした理由が思い出せないが、こちらも今回LEDにした。風呂場の方のLED電球は確かに10年持った(確か引っ越してきてすぐ切れたのでLEDにした)ので、まぁまた10年持ってほしい。

ところで切れた電球を持ち比べて思い出したが、フィラメントが切れた白熱灯は転がすとサラサラ鳴る。中のフィラメントが電球を転がる音で、綺麗な音なのだけれど、LED電球からはこうした音がしない。こういう、気にしていないうちに無くなった音は、他にもあるのだろう。

コーヒー

会社の自販機が「つめた~い」に切り替わってしまった。世の中全体の温かさがなくなりつつある(言い過ぎ)

ホットコーヒーを冷ましたい。冷めたコーヒーが好きで、つめたいコーヒーは何か嫌なのだ。ぬるいコーヒーが理想だ。

まず間違いなくこれは高校・大学時代に飲みに飲んだマックとミスドのコーヒーに由来している。どちらもローストがやたら強くて、熱いうちは鉛筆のような匂いがした。アイスコーヒーで頼むと勉強中に氷が溶けて味が薄くなり、これも鉛筆の味がする。ホットコーヒーを冷ますと、鉛筆の匂いが消えて一番美味しい。そういう経験をし続けてしまった。悪食の癖で、品のない話だ。

もちろん今でも、まともな喫茶店に入ればホットコーヒーを熱いうちにいただくし、夏なら氷が溶ける前にアイスコーヒーを飲む。だが、ダラダラ仕事中に飲むのは、ホットコーヒーが冷めたものがいい。いいのだ。

ホットコーヒーを冷ましてください。決してアイスではなく。

寿司の締め(今月の締めなので長めに)

※ここのところNoteの更新が滞っており、(最近サポートなどもいただいておりながら)極めて恐縮の状況でありました。実は昨今の状況的にアップロードできなかった記事が2つもあり(要するに暗くて出していい流れじゃなかったり、「事実は小説より奇なり」が起きたりした)、何か明るいもので記事でも…いやしかし長文は厳しいな…というところで、一つの記事にするには短いものの割と長い話でも。

寿司の締めというものが分かっていない。何せ米を食べながら飲んでいる、そもそもこれ自体が稀有な状態と言えばそうなのだ。大体は締めで米を食うというのに、米で飲んでしまったら、その状態から一体どう終わればいいのだろう。

「味噌汁」、いやそれはそうなのだが、味噌汁の前の「締め」の話としてだ。聞いた話で、回転ずしで最後うどんを食べている人もいたが、そういう事でもない。

寿司で終わりたい、だが寿司で続けてきた、そこをどうするかの話だ。言い換えれば、寿司のエンディングとは何なのか。

※なお、「寿司のフィナーレ」と言うと、どうしても濃厚なウニや大トロのようなものを想像するが、もちろん言うまでも無くそうしたものは酒に合う。酒が続いてしまう。そうではなくて、酒を飲み終わった後に、「よし」となれる寿司は何か。

たまにつまみに行く立ち食い寿司では、葉ワサビの巻物で終わらせるという事にしていた。まぁやたら辛くて「終わりっ!」という感は出るので、これでいいのかなという気もしていた。しかしなんというか、情緒がない。

もう少しちゃんとしたお店に行った時に、最後になめたけの握りが出てきたことがあった。これはこれで納得した。爽やかに終わるし、出汁の味がしてよい。だが何か、エンディング感が無い。「落ち着かせましたよ」という感じ。大人ではあるが…なんだろう、華やかなエンディングというよりはソフトランディングといった感じだ。

そんな折、いい寿司のお店を紹介してもらった。何もかもとんでもない美味しさで楽しんでいたのだが、気が付くとつまみも握りも、一度も海苔が使われていない。

そこに、最後かんぴょう巻が出てきた。

ああ、これが締めだ、と納得した。つまみ(煮イカだった)で分かっていた出汁と醤油と砂糖の旨みをかんぴょうがしっかり吸い、それをシャリと一緒に、香りの高い海苔でいただく…しっかりと脂の乗った魚たちの後でも負けない旨みに、爽やかさが訪れる。良い。良かった。正解であることですね(口調も変わる)

しかしこれは、いいお寿司での話なのだよな、とスーパーのパック寿司を見て思う。このかんぴょうではああも行くまい、では安い寿司はどう終わらせればいいのか。

それともひょっとして、「焼きそばでビールを飲む」ような話なのだろうか。焼きそばで飲むビールは、唐突に終わる。一口目で盛り上がり、そのまま続けて、一瞬で終わる。盛り上がりグラフを書いたら、長方形みたいな形をしているだろう。終わらせ方も何もなく、焼きそばを食べきり、最後の一口のビールを飲んだら即終わる。高くない寿司もそうなのだろうか。最後の一カンを食べきり、最後の一口の日本酒を飲んだらスパッと終わる。汁物もいらず、そこまで。終わり。高くない寿司は、焼きそばとか、ラーメンで飲むようなものなのだろうか。関係性はあっという間。

それでも、あるいは、寿司でちゃんと締めたい。この文章もちゃんと締めたい。だがどちらも、答えは未だ見つからないままだ。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。