年の暮れに向けて

9月になった。年の暮れも近い。

古くて新しい友情として、僕とお歳暮をしないか。遠くて近い友情として、僕とお歳暮をしないか。

遠くにありて

先日、友人の相談事をLINEで聞いているうちに、かける言葉が無い事に気づいた。彼の方が専門家で、その彼が無力感にさいなまれている。何か言う事があろうか。住んでいる場所はガス抜きに一緒に飲みに行ける距離でもない。携帯電話を握りながら僕はどうしたものか悩んでいたが、そのうちAmazonのアプリを開いて、ハーゲンダッツの詰め合わせを彼の家に送っていた。これでいい。彼の家には若い人も多い。

友人だからと言って分かった気になれるには、あまりにも生活はお互いに遠い。遊ぶ機会も減ったし、生活のリズムも違うようになった。言ってしまえば僕らもいい年で(読者の方はまだ若いかもしれないが)、言葉を贈る事がお互い出来なくなってきているかもしれない。

それでも、美味いアイスを口にすれば多少元気は出るのだ。足りない情熱とスキルはお金で買えると仕事で知っているし、物流は世の中を普く駆け巡っている。

近くになって

別の友人の話だが、友人の子供が4歳になった。

「カゴメの美味いジュースのセットとか贈って、味を覚えさせて親を困らせてやりたいよね」

とさらに別の友人が冗談を言った。酷い話だな、と思ったが、素敵な発想だとも思う。

実際にお中元やお歳暮を贈ったことがほとんど無いが、「毎年贈る」という事で変化やストーリーが生まれる事もあるだろう。おそらく4歳の娘を持つ彼の家に魚の粕漬セットは贈らない。だが味付け海苔のセットはお弁当を作る家ならば喜ばれるかもしれない(そもそも、何故か子供は一般的に海苔が好きな印象はある)。そのうち子供が食べ盛りでかつテレビなども見だす頃にCMで出てくるようなハムを贈るとどうなるか、想像するだけでなんだか楽しい。

友人の子供と自分が互いの生活に絡む事はあまりなかろうが、贈り物という「家に届くもの」を出す事でリンクしていく。別に子供じゃなくても、友人本人でもそういう事はあろう。毎年何かを贈る。毎年違うものを送れば今年は何が来るか想像するし、同じものを送ればそろそろあれが来るねと言われるのだろう。生活に届いていく。前のセクションでは言葉をかけるのが難しいほど遠くになったから物を贈ろうと言っていたのだが、物を贈る事で心理的な距離が近づいていく予感がある。

もちろん、これは単なる善意というには、あまりにも自己満足的な話に聞こえることは承知している。実際に贈る人を想定していないため、あくまで贈るという行為そのものに意図を見いだそうとしているからだ(広義のプレゼントには法学で言う悪意が贈り手にある事も、以前書いている)。ただ実際贈るとなれば、そこには相手への想いもあろう。あまり自分を疑う必要はないと思う。

欲しさもあって

貰うと嬉しいが、自分では買わないものはある。お麩にお吸い物の素が入っている「玉手箱」などがそうだ。家でお湯を沸かす事と吸い物を作る事にれほど精神的な労苦の差がない僕は「あると便利」と感じる事もないが、貰うとお弁当と一緒に持っていって会社の昼休みが少し豪華になるので嬉しい。だが、会社の昼休みを自分のお金で豪華にする気はないので、自分で買う事はないだろう。

明太子などもそれくらいの距離感がある。好きだが、足も早いしお弁当に入れられないので、あまり買わない。貰うと嬉しくなって半分で日本酒を飲み、翌日の朝白米に残り半分を乗せる。良い牛肉などもこのカテゴリーだろう。

欲しいものはいくらでもある。

サプライズはよして

贈るのも楽しそうで、贈られるのも嬉しそうだが、どちらかが一方的に贈る事になってしまうのは気まずそうにも思う。唐突に来た時に「しまった、贈り返さないと」と後手を踏む気持ちはプレッシャーでもある(そういう時に限って週末も百貨店に行けそうにないのだ)。

感謝の気持ちを伝えておいてから間をおいてお歳暮を贈るのは間抜けな気もするが、ここは一つ、予めお互いにお歳暮を贈りあおうと決めておけばいいのではないか。いわばプレゼント交換だ。元来お歳暮やお中元が活発だった時代は特にそうした取り決めが無くても贈りあう仲というのがあったのだろうが、今やそういう時代ではない。SNSでなくとも、相互フォローは大事だ。

この相互お歳暮フォロー効果は、前段でも触れた通り「自分のためには買えないが、人のために贈る事は出来る」を贈りあう事で、結果的にお互いのQOLを高める事が出来るという点にある。モノ消費からコト消費と言われる時代でも、モノは人を豊かにする…それが分かっていても二の足を踏む事はある。そこから踏み出す勇気を、友情によってお互いに持ち合うのは、年に一度くらいならいいのではないか。

古くて新しくて

そもそもとしてお歳暮は流行らなくなった。ライフスタイルの多様化もあろう。だが、敢えて、使い古された言葉だが、「一周回って」、僕は可能性を感じている。

お互い友人になった時から随分と変わった。そこを肯定的に受け止める手段足りうる、と思う。

古くて新しい友情として、お歳暮をしないか。遠くて近い友情として、お歳暮をしないか。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。