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自己紹介+

初めましての人もお久しぶりの人もこんにちは。
ドイツ在住の声楽家、パフォーマーの溝淵加奈枝です。
私の住むドイツは明日からロックダウンに入り、まとまった時間ができそうなので先日数回挑戦したインスタライブからさらに拡げ、年末年始にかけて少し発信してみることにしました。
こちらも楽しく読んでもらえたら幸いです。

溝淵さんができるまで。

溝淵さんは一体何者なのか?どうして声楽家に?
どうやって現代音楽の世界に?なぜドイツにいるの?
今は何をしているの?

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幼少期〜思春期
私は香川県出身です。父親が音楽好きなこともあり幼い頃からユーミンやシンディー・ローパー、モーツァルトなどと随分ばらけた、しかし比較的キャッチーな音楽を聴きながら育ちました。また母親は絵画が好きで、幼い頃から高松市美術館にもよく連れて行かれました。当時はまだバブルの名残があり、時々シスレーやポロックなどすごい作品がこっそり来ていたのです。今となってはアート県として名高い香川県ですが、まだただの田舎だった20年以上前からそのようなものにたくさん触れさせてくれた両親には頭があがりません。

音楽、特に歌うことは小さい頃から大好きで小学校の頃から合唱部に入っていました。しかし進学した中学校には残念ながら合唱部がなく、それでも歌いたかった私は親類のつてで声楽の先生を紹介してもらいました。わからない外国語の曲を歌うよりコンコーネなどエチュードを歌う方が好きだったことをよく覚えています。

音楽を聞くことも演奏することと同じく(もしくはそれ以上に)大好きで、思春期時代は学校帰りにCDショップに寄りためたお小遣いでCDを買うのが楽しみでした。しかしポップスを聞くのも大好きだった私はクラシックとポップスを行ったり来たりしていました。テクノやEDM,ラップもよく聞いていました。

そんなわけで高校生のころ、私はぼんやりととにかく音楽に携わる仕事がしたいと思っていました。しかしCDのプロフィールを読むと私の好きなクラシックの音楽家は幼少期から天賦の才や恵まれた環境で育っている、片やポップスやロックのミュージシャンは破滅的な人生を歩んでいる。どちらも無理だ!どうしよう!となりつつも結局は声楽で国立音楽大学に進学しました。高校を低空飛行で卒業した私はもう座学はお腹がいっぱいと思っていたし、当時の私は兎にも角にも東京に出たかったのです。それは主に録音で聞いていた素晴らしい演奏家の演奏が生で聴きたい!という純粋な消費者としての動機からでした。

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大学時代

国立音大に入ってからは楽しい仲間にも恵まれ、学生料金を駆使して都内の様々なコンサートに行きました。ウィーンフィルやパールマン、ポリーニ、新国立劇場のオペラなどは本当に素晴らしかった。そして同時に録音との圧倒的な情報量の違いを感じ、演奏家としては私は実力も経験値も低すぎると絶望も感じていました。

そんなころ、私は「フランス音楽研究会」という作曲家の故・山口博史先生が主宰する大学サークルに入りました。大叔母がその昔パリに長らく住んでいたことや母がフランス文学を大学で専攻していたこともありフランスは私にとってなんとなく近しい外国だったのです。それに香川にいたころから坂本龍一からドビュッシー、ラヴェルとフランス印象派の音楽を好んで聴いていたのでもっとその辺りの音楽も勉強したい、演奏してみたい。そう思ってそのサークルの門戸を叩いたところ私はなぜか現代音楽というジャンルに出会ったのでした。

当時のフランス音楽研究会は私以外、ほぼ作曲科の学生しか在籍していない状況でした。学校の芸術祭でカフェを開くのと山口先生主宰でたまに集まってアナリーゼ大会を行うというのが主な活動内容だったと思います。そこで初めて行ったアナリーゼ大会でオリヴィエ・メシアンの「幼子イエスに注ぐ20の眼差し」を分析したのが私を変えるきっかけでした。勉強を始めたのが遅く、和声感やソルフェージュ能力にコンプレックスがあった私はメシアンのM.T.L(移調の限られた旋法)やブーレーズのセリーのような数学的なシステムのほうが理解しやすかったのです。それまで感覚と本能で音楽を演奏していた私にとって音楽を分析して頭で納得できる、というのはとても衝撃的かつ心地良い出来事でした。

Olivier Messiaen - Vingt Regards sur l'Enfant-Jésus (1944)

​そんなわけで音楽を新しいシステムや考え方で捉えるということに俄然興味を持った私は川島素晴先生主催のワークショップや作曲科学生による作曲作品展など積極的に作曲科の授業やイベントに参加するようになります。中川俊郎や一柳慧、ジョン・ケージなど様々な作品の実践に挑戦できたのは本当に楽しかった。まず能動的に音楽をする、ということを学んだ気がします。しかし同時に声楽においては現代音楽専門の先生というのはおらず、私はもっともっと読譜力やテクニックを磨きたい、色んな曲を勉強したいと思い大学3年次にひとり初めて現代音楽のメッカ、ダルムシュタット夏期現代音楽講習会に参加したのでした。

当時のダルムシュタット夏期現代音楽講習会(Internationale Ferienkurse für Neue Musik)では数多くの様々なコンサートに行くとともにドナシエンヌ・ミシェル=ダンサック(Donatienne-Michel Dansac)先生のクラスでみっちりルチアーノ・ベリオの「Sequenza 3」を勉強しました。書かれていることを正確に再現する、余計なことをしない、ということをモットーに1小節ずつ丁寧に仕上げていく作業は、とても時間がかかるものの出来上がったときの演奏の説得力には圧倒的な違いがありました。超絶的なテクニックを駆使していることに酔わない、クラシックの音楽と同じように楽譜を読み込み音を立ち上げていくということは、特殊唱法が多用される現代音楽において見失われやすいものの、とても大切なことだと今でも思っています。

またコンサートで聞いたドナシエンヌによるジョルジュ・アペルギス(Georges Aperghis)「レシタシオン(Recitations)」の全曲演奏も印象的でした。まずは彼女の淡々と楽譜に書かれた表現を浮き立たせていく声の力にただただ驚嘆したのを覚えています。しかし徐々に、彼女のレシタシオンは彼女がフランス語がわかるからこそ自然に言葉の色が作品の演奏に表出しているのであり、例えば私が語学のコンテクストがわからないまま演奏をするのではこういう曲では演奏の質が落ちてしまうとも感じたのでした。ちなみにそこで出会ったたくさんの仲間は今でもつながりがあり、本当に勇気を持って行ってよかったなと思っています。この話はまたいつか。

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留学(フランス〜ドイツ)

その後、大学を卒業した私はフランス、ストラスブールに留学します。メシアンの歌曲をたくさん歌ってらっしゃる小林真理先生の知己を得たこととドナシエンヌに紹介してもらったEnsemble Accroche Noteのフランソワーズ・キュブレー先生に習いたいということが大きなきっかけでした。そこで私はフランス語を習得しつつ、ここでも学生割引を大いに活用しヨーロッパ各地の現代音楽祭やコンサートに行きまくっていました。演奏家としてはストラスブールの5年間の間にペーター・エトヴェシュとジョルジュ・クルタークのレッスンを受けてフランスとハンガリーでクルターク作曲の「亡きR.V.トゥルソヴァのメッセージ( Messages of the late Miss Troussova)」のソリストをする機会を得たり、同時期にストラスブールに留学していたサクソフォン奏者の阪越由依さん、打楽器奏者の川村法子さんと共にアペルギスの「7つの愛の大罪(Les Sept crimes de l'amour)」に取り組んだことが大いに成長させてくれました。この数年は楽譜に書き込まれたことをいかに実現していくか、自分の声のポテンシャルを知るという期間だったと感じています。この辺のこともそのうちしっかり書けたら良いな。

そして私は2018年、今の先生であるアンゲリカ・ルッツ(Angelika Luz)先生と出会い、シュトゥットガルト音楽・演劇大学の現代音楽科声楽専攻に進学しました。シュトゥットガルトはヘルムート・ラッヘンマンが作曲科の教授を勤めていたこともあり現代音楽に開かれた街として知られています。また声楽もとても盛んな土地でシュトゥットガルト歌劇場(Stuttgart Oper)やSWR Vokalensembleにおいてたくさんの名曲がこの地にて産声をあげました。私の師匠であるアンゲリカはneue Vokalsolistenの創立時メンバーであり、彼女のクラスでは新曲初演はもちろん既存の現代曲に演出をつけて演奏することにも積極的に取り組んでいます。私自身はフランスにいた頃は既存の曲にさらなる演出をつけることに抵抗があったものの、こちらでオペラの伝統に触れたり、多様な解釈による作品の持つポテンシャルをさらに引き出すことに成功した例をたくさん見たり、自ら実践することによりそれらの新たな価値に気付けたと思います。

また最近、ドイツではコンポーザー・パフォーマー的な創作が非常に増えてきており、シュトゥットガルト音大でも新しくダルムシュタット夏期現代音楽祭での常連、ジェニファー・ウォルシュ(Jennifer Walshe) を教授に迎えパフォーマンス学科(Master Theorie und Praxis experimenteller Performance)が創設されました。その関連で私もほぼ国立音大時代ぶりに様々なパフォーマンスに参加することになりました。パフォーマンスをするにあたっては歴史的観点も重要であるというジェニファーの考えには心から私も賛同していて、シュトゥットガルト市立美術館のデュシャン展におけるパフォーマンスや、最近ではシュトゥットガルト現代音楽協会(S-K-A-M e.V. Stuttgarter Kollektiv für aktuelle Musik)にてフルクサスの日本人女性作曲家である塩見允枝子のWater Music(水の音楽)にも挑戦しました。この辺もまたどこかで。

Water Music(塩見允枝子)

一方、伝統的なヴォーカル・アンサンブルで歌うことにも興味があった私は2019/20にSWR Vokalensembleにアカデミー生として参加しいくつかのプロダクションに参加しました。世界最高のヴォーカル・アンサンブルの現場においてまず私が感じたことはポテンシャルの高い演奏家が集まり、責任を持って1つの音楽を形作る喜びでした。また合唱という現場では指揮者の指示に柔軟に対応していく力が求められるのでそれに対応できるよう現代音楽だクラシックだという垣根を超えて、声のコンディションを常に整えることもとても勉強になりました。アカデミーは途中でコロナが来て終わってしまいましたが、先日、奇跡的に初演ツアーができたクレメンス・ガーデンシュテッター(Clemens Gadenstätter)のプロジェクトで初参加となったSchola Heidelbergに来年も有難いことにいくつか参加することになっています。これからもこのような素晴らしい現場にも携わっていけたらなと思っています。

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これから

そんなわけで幸いにも色んな土地で色んな経験を積んできた私ですが、今後はどうしようと思っているのか。まさにそれを悩んでいたときにコロナが直撃しました。馬車馬のように動き続けていた私にとってロックダウンの時間は今となれば自分を振り返る良い時間でした。またこれまで長続きする趣味がなかった私にとってチェスやタロット占いに開眼したのも大きかったです(この話もまたいつか)。

気心知れた仲間たちと試行錯誤しながら実験したり新しい芸術に挑戦していくことはとても楽しいですし、これからもできる範囲で続けていきたいと思っています。また現代音楽はアカデミズムとローカルが交錯する思ったよりずっと広いフィールドで、閉じているようで開かれている、開かれているようで閉じている現場に私はある種の居心地のよさを感じています。またそれと同時に一演奏家、声楽家としてはアンサンブルの一員として質の高い仕事の経験を一つ一つ丁寧に積み重ねていきたいなと思っています。

もう欧州に来て7年が経ちますが、私が日本にいたときより同世代の演奏家もずっとたくさん増え、現代音楽に対しても開かれてきているのかなとぼんやり感じています。私自身は20代前半のような現代音楽を演奏してやるぞ!という意識からは随分と解放され、最近は楽しい素敵なことならなんでもやりたいなという風に遅ばせながらやっとなり、作曲に挑戦してみたり、バロックや中世の音楽にも興味をもっています。でも大事なことは自分が納得しながら物事をやり続けることですね。悩むことは無駄じゃない。

こんな感じでふわふわと漂ってきた経験を生かしこれからも音楽の厳しさや喜びにマイペースに向き合って行きたいなと思っています。色々な話題をまた次回と丸投げしてしまったので、一つ一つまた書いていくつもりです。まずは読んでくださりありがとうございました。

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