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好奇心の使いかた

2024.06.04

朝。バスには間に合う時間だったが見送った。駅までの道を歩くことにした。
5年前からは想像ができないほど、朝の時間に余裕を持って過ごしている。

5年前までの私は、始業の2分前に執務室に滑り込むのが常だった。なぜだか、ギリギリ間に合う時間を攻めていた。自転車を全速力でこいで、汗だくで席についていた。
8:30に目が覚めて、8:40に家を出て、9:00の始業に間に合ったときは、謎の自信が湧いた。

今は自転車で1時間の場所に越した。公共の交通機関を使っても同じ時間がかかる。
5:30に起きて、7:00に家を出て、8:00に会社に着く。
数本のバスや電車を逃したところでリカバリがきくのが良い。

他にも、各駅停車の電車に乗ることによってできた、読書の時間が楽しみになった。始業前からスマホによって目が疲れることがなくなったのも利点だ。今年は積読にいくらか手がつけられそうなのも気分が良い。

会社についてからの時間は、すぐに片付く仕事を終わらせたり、読書の続きをしたりする。最近は、昨晩の出来事をノートに書き連ねている。この"日々の記録"が過去を遡れるのも、ノートのおかげだ。

そのノートとは

そのノートは、岡田斗司夫さん著「あなたを天才にする スマートノート」を参考にしてつけ始めた。本に示されているノートの内容より、簡素な内容のノートになってはいるが、半年続けている(1回挫折した)。
どういった人を"天才"としているかは、この本の中で定義されている。

「天才」とはなんでしょうか?
「天才」とは、以下の3つの能力を兼ね備えた人です。

1)発想力
2)表現力
3)論理力 

 このそれぞれに関して高い能力を持ち、それが強い主体性によって1つの人格の中にまとまっている状態。
 これを「天才」と言います。

あなたを天才にする スマートノート 電子版+ より引用
ロケットブックス/岡田斗司夫 著

無論、私は天才になる使い方はできていない。これを機に読み直そうと思う。

このスマートノートでは、7つのフェーズに分けてノートの内容を濃くしていく。1日の出来事を5行書くことから始めて、次に1つの出来事を採点する。書き慣れてきたところで、より論理的な書き方ができる次のフェーズに移っていくやり方だ。
私はというと、フェーズ2と3を繰り返している。それだけでも続ける意義を感じている。

この本は、インスタで誰かがおすすめしていて知った。それまで、私は岡田斗司夫さんをYouTubeの「ジブリ大好き解説おじさん」として知っていた。あの話し方に納得感を覚えていたので、その語り手が提唱する論理力のつけ方に興味を持つのは必然だった。
頭の中で、本の文章が岡田斗司夫さんの声で再生されたのもあり、読みやすかった。

今読んでいる本について

今は「書く仕事がしたい(CCCメディアハウス/佐藤友美 著)」を読み進めている。

インスタライブで佐藤友美さんを拝見して、その存在を知った。
書く仕事をしている人が、書く仕事について書いた本だ。ありそうでないのではないだろうか。
書く仕事への興味から手に取った。

表紙にも印字されているが、文章力を上げるための本ではない。書くという「仕事」について書かれている。ライターの生活や、取材に対する心構え、編集者との付き合い方など、書く「仕事」をするうえで必要な技術について書いてある。
自分の知らない業界について、現役の人から話を聞けるというだけでも面白い。知らない世界を知るのは楽しい。

本を読むのは苦手

本の紹介をしておいて、私は本を読むのが苦手だ。その理由は最近になってはっきりした。

  • 1回読んで理解しなければいけないと思っていた。

  • 隅から隅まで頭に入れないといけないと思っていた。内容が入ってこないと、読み進められなかった。

  • 集中力がない。

  • 知っていることの"答え合わせ"にしかなっていないことに、面白みを感じなくなっていた。


「趣味は読書」というのに少なからず憧れがあった。他の趣味と一線を画して、読書を特別視していた期間が長かった。そのことから、本で知っただけのことをひけらかしていた。愚かだった。

その優越感のためだけの読書には「読んだ冊数」や、それを稼ぐために「ひと月に読むペース」が大事だった。数字を達成する「効率の良さ」が必要だった。自分の言っていることが「正しいという証明」も欲しかった。

私の趣味は読書そのものではなかった。どうりで、いくら本を手にとっても読む気がしなかった。

それがふと、「なぁんだ、そんなくだらない本の読み方をしていたのか」と気づけたのは、インスタ本棚のしんやさん(shinya__books)のコラム "本を読むほど馬鹿になる" を読んだからだ。

自分の読書に対する考え方を、見事に言語化してくれたコラムだった。

他には、もうどこで見聞きしたかも分からないが、読書に対するハードルを下げる言葉にいくつも出会った。

「本は何度読み返しても良い」
当たり前だけど、それがダメだと思っていた。

「興味を惹かれた本を積んでおけるのは豊かだということ」
早く次を読まなければ!と思っていた。自分の興味が向いた本を手に取れるのは素晴らしいという。本との出会いは一期一会だから。今では次は何を読もうかと本棚を眺める時間も楽しい。

いつまでも好奇心旺盛でいたいと思う私にとって、本の本来の楽しみ方に立ち返ることができたのは嬉しいことだ。

なぜ好奇心を大事にしたいのか

知っているということは、選択肢が増えるということだと思うから。
これは優越感のための読書で得た見識だが、今でもそう思っている。増やした選択肢からも選べる、ということに豊かさを感じている。

過去に自分の選択について「何故これを選ぶのか」を突き詰めたことがある。するとそれが「常識だから」みたいなところに行き当たった。
その出所が不確かな選択肢はときに他人を尊重することを許さない。そうまでしてその選択肢にこだわるべきか?と考えるようになった。自分でもよく分かっていないこだわりが、人生を生きにくくすると思った。

私の例で言うと、私は「読んだ本の冊数が多いほど良い」という常識によって、私の純粋な好奇心を尊重してこなかった。本を読むと言う楽しみを奪っていた。

もう一つ、原点となった話をする。

「彼氏がクリスマスプレゼントをくれなかったんだけど。有り得なくない?!」という愚痴が聞こえてきた。
私は彼氏からクリスマスプレゼントをもらうことが当たり前だと思ったことがなかったので、「そんなことで怒るの?」と思ったことを覚えている。

"クリスマスにプレゼントを贈る"という話を聞いたことがないわけではない。友達やテレビや雑誌から、クリスマスってそういうものなんだという「なんとなくのイメージ」はあった。
私は、その「なんとなくのイメージ」にマッチしなかっただけの話に、機嫌を悪くしてしまうのがもったいないと思った。そういうイメージを持っていなければ(別の選択肢があれば)、穏やかなクリスマスの思い出になったのではないかと想像した。
私にとっては、どこの誰に植え付けられたかも分からない"クリスマスにプレゼントを贈る"という「なんとなくのイメージ」が、誰かを憎んでまで大事にしたい価値観だとは思えなかった。

「なんとなくのイメージ」がいつしか「こうあるべきなんだ」に変わっていることは往々にしてある。
そしてそれは「こうあるべきだよね」という期待へと変わる。
期待すれば、喜びか幻滅が生まれる。
喜べるか、がっかりするかには判断が伴う。
その判断材料が「あるべき」の1つしかなかったらどうなるだろうか?
あるべきでないものに出会う度にがっかりしつづけるのだろうか。そんな生き方はちょっと残念ではなかろうか。

だって、この世が⚪︎か×かの2択だけで成り立っているわけがないじゃない?

本当はもっと別の判断材料(選択肢)があるけれど、ただ知らないというだけだったりする。知らないだけで、いろんな摩擦や軋轢が生まれていると思った出来事だった。

そう考えると「知る」ことに興味が湧いた。知ることで選択肢を増やしていくと、世の中って割と自分で選択できるし、自分で選べたほうが楽だと気づいた。

全ては、自分が機嫌良く過ごすため
選択肢が増えて何を選んでも良いことが分かってくると、いちいち⚪︎か×かなんて判断するのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
すると自分の機嫌が悪くなることが少なくなる。
それくらい、世の中は知らないことだらけだ。
だから私は、好奇心を大事にしたい。

「知る」よりもっと大事なこと

選択肢を持つために「知る」ことが大事だと思う理由を話した。
それよりさらに大事なのは、知ったあと「どうするか」だと思う。

例えば、「失敗」という選択をしないために今は様々な情報を集めることができる。
ああしたほうがいい、こうしないほうがいい、あれはダメらしい。そうして「失敗しないためのリスト」がどんどん溜められていく。

ダイエットについて発信するアカウントのコメントを見るとよく分かる。「一日何回するといいですか」「朝と夜ならどっちがいいですか」「寝る前しか時間が取れないんですがそれだとダメですか」みたいな質問を良くみる。
その実、ダイエットを失敗に終わらせないために入念に準備をしているが、肝心のダイエットが一向に始められないでいる。
簡単に知る機会が増えたことで、かえって選択肢を狭めてしまっている。

もし「寝る前はダメです」と言われてしまったら、「寝る前でもOKです」と言ってくれる人が現れるまで探し続けたりする。
私がやらかした、答えが合うまでが学びだと思ってしまっているパターンだ。

大事なのは「寝る前はダメだ」と知ったあと「じゃあどうするか」を考えることだと思う。
生活リズムを見直したりできそうなものだが、人は変化に敏感でストレスを感じる生き物だ。極力、現状維持でやれないかを考えることに注力する。

そんな癖があることを知っていると、答え合わせに陥らずに「じゃあどうするか」を考えることが増えると思う。
変化を求めるときは、答え合わせをしないことが大事かもしれない。

あとがき -今日の哲学-

私の好奇心は、自分の機嫌をよくしておくための材料探しでもある。
そのヒントは、自分の機嫌が悪くなったときに転がっている。

 私を不快にさせる価値観って何?
 その価値観はどこからきた?
 そんなものに私の機嫌を左右される価値はある?

大事でもない価値観に、私を不快にさせられたくはない。押し寄せる一喜一憂の波に揉まれたくない。
いまさら不幸になってたまるか。

自分の機嫌を良くするのも、悪くするのも、自分次第といえるだろう。
だとしたら、どういう選択をしていく?

心がざわついたときこそ、静かに問うてみよう。


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