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PANK PONK magazine vol.13 ゲーム脳

俺はナチュラルボーンゲーム脳だ。いや、正確には違う。生まれた時からではない。

あれは幼稚園の時に父親が買ってきた(パチンコで取ってきた?)ファミコン(はじめてのゲームソフトはマリオとテラクレスタ)に触れて以来僕の頭はゲームシンキング。離人症の症状と相まって僕は僕を主人公にしたゲームを毎日プレイしているよう。
小学生の頃「ドラえもん忍者図鑑」みたいな本(検索して探してみたけど一切情報が見つけられなかった)に忍者の修行の仕方が書いてあり日々それに書いてある通り修行に明け暮れていた。
本当はファミコンに明け暮れたかったのだがゲームは1日1時間の家庭ルールがあった。しかし朝の4時とか5時に起きて親が起きてくる7時前までゲームして布団に行って学校に行く時間に再度起きてくるという忍法を使ってたけどね。
その頃の悩みはファイナルファンタジー3のラストダンジョンが3時間くらいかかるとの噂だが、どうやって3時間もぶっ続けでゲームする時間を確保するかだ。当時は途中セーブとかなかったから。(結果はソフトに振動を与えた弟にラストダンジョン直前のセーブデータを消された。弟がその後地獄を見たのは言うまでもないだろう。)

忍者の修行には長いふんどしを地面につけずに走り回る(ふんどしは持ってないので長いタオルで代用)毎日伸びる雑草を飛び越えるなどが書いてあった。非常食の丸薬のことも書いてあったので家にあった小麦粉や砂糖蜂蜜などを適当に混ぜて腰に巻いたビニール袋に入れて山に入って修行に励んでいた(険しい崖を登る。道中の虫や動物を助けるなどだ。伝説の剣(いい感じの木の棒)をみつけるなど)。山頂まで行ったがビニール袋が破けて丸薬を失ってしまい、やばい!と身の危険を感じ険しい道を一直線に駆け下りて傷だらけになったことがある。
オリジナルの修行も徐々に編み出し毎日忍者への道を着実に歩んでいた。戦国時代に生まれていたら今頃はさぞ優秀な忍者として日々を生き、こんなくそくだらない文章など書いてなかったであろう。生まれる時代を間違えた。

家族や友達と川に遊びに行ってもそそくさとひとり離れて流れがきつい場所で片足立ちでずっと耐える修行や急流にのまれて流されて帰還する修行をしていた。学校でトイレに行くのも常に爪先立ち。何も言われなかったが周りは僕のことをどう思っていたのだろうか。
何はともあれ僕は体幹が非常にしっかりしているのだがこれは子供の頃の忍者修行の賜物であることは間違いがない。

今はさすがに忍者は目指してはいないが修行修行修行の毎日だ。何か決めてそれを実行するのが好きなのだ。こうやって文章書くと決めてちまちまちまと書いているのも修行のひとつだ。決して文章を書くのが好きで好きでたまらない、というわけでは決してない。決めたから書いている。それだけだ。
とゲームの話を書こうと思ったらいつのまにか忍者の話をしてしまう、という悪い病気(不治)が出てきてしまったのゲームに戻そう。

ドラクエ、ファイナルファンタジーに代表されるロールプレイングゲーム(以下RPG)が好きだった。ものごとを合理的に考えてしまう自分は少ない小遣いで一番長くプレイできてお得なゲームジャンルはRPGだと判断した(合理的な思考の僕はさらにドラクエ、ファイナルファンタジーなどの人気ゲームは友達が買って貸してくれるからワゴンセールの不人気のRPGを買いそれと交換してもらってた。同じ理由で漫画雑誌はコロコロでなくボンボン)
強さが目に見えて数値で分かりやすいのもいい。修行の成果が一目瞭然で気持ちがいい。数々の作品をプレイしていくうちに僕の脳は実際の生活もRPGだと思うようになってしまった。
何かをすることは常に経験値が貯まっている。人生何事も経験というが、僕の場合はまだ知らない新しいことをすることは経験値が常にマザー2のHPゲージのリールのように回りながら上がっているイメージで考えてしまうし(くだらない会社のくだらない上司の話を聴くことやSNSなどでどうでもいいようなことに目くじらたてたりすることなどなどは既に経験値がカンストしているのでこれ以上は時間の無駄なので出来るだけ避ける。レベル99になってるのにまだスライムをちまちま倒しているようなものだ)
出来ないことが出来るようになると「やったー。メラ覚えたぞ!」転職はまさにダーマ神殿に行くこと。知らない街に行ってみることは「ルーラで行ける場所が増えた!」と考える。

ひとりで知らない街に行くと観光名所などには目もくれずひたすら歩いている。この辺が繁華街なのかな?この辺りは夜の飲み屋街ぽいから暗くなってからもう一度来てみよう。そうかこことここはこうつながっているのか!そうやって場所と場所の位置関係とか役割が脳内にマッピングされていくのが良いんだ。詳細がわかればわかるほどルーラで飛びやすいのだ。

東京の街が面白いと思ったのは「電気の街」「音楽の街」「本の街」「酔っ払いの街」「ビジネスマンの街」「お洒落な街」とわりと明確に街の色があって電車で移動するとその各々の街が地続きな感覚があまりなくてルーラでいきなり違う街にワープした感じがする。自転車で移動すると神保町と秋葉原や六本木と新橋などイメージ的に真逆で遠い場所がめちゃくちゃ近くてなんとなく有機的に繋がってるのが分かるのだけど、電車だと真逆なイメージの街に数分でいきなりワープする。

お店はじめた30歳過ぎてからは海外には行けてないのだけれど20代に遊びに行ったジャマイカ、キューバ、インドにはいつだってルーラで行ける。想像すれば情景が浮かんでくる。
人生で一度は巨大なシロナガスクジラを間近で見たいのだが、一度目にすればいつだってクジラに会える。どんなに辛い時も優雅に泳ぐクジラを想像すればちっぽけな小さな僕の悩みなんてどうでも良くよく思えてくるような気がするから。

昔は出来なかったデザインや写真撮ったりイベント企画することだってメラやヒャドの呪文が使えるようになることと同じだ。今よりもっとうまくできるようになればメラミやヒャダルコが使えるようになる。

読書も大好きだが、これもゲーム脳で考えれば経験値を貯めてレベル上げに励んでいることと同意だ。しかもいつでもどこでも少しの空き時間で出来る非常に合理的な方法だ。
僕は今の自分では少し飲み下しにくいような本が好きだ。分かりやすくすらすら読めて面白い本は既に知っていることが書かれているから分かりやすい、つまりそれは自分が既に知っていることを再確認する作業だ。もう散々倒し飽きたスライムを倒しているようなことだ。分かりやすく面白いものは危険だ。レベルが全然上がらない(うえに自分は強いと思い込んで傲慢になっていくという非常に有毒な副作用まである)。
最初の町から離れないのであればそれでもいいが、そうはどっこい現実はそうはいかない。自分は変わらなくても現実の町自体(状況)が変化していく。そして加齢とともに自分のレベルも下がっていく。

歳をとって数々の才能に溢れる人たちを目にしてきて今では自分が才気溢れる勇者だとは思えないのでギガデインはいつまで経っても放てないかもしれないが経験値を積み重ねれば最後にはメラゾーマくらいは放てるようになるかもしれない。いやいつか放ってやるんだ!メラゾーマを!!
パルプンテ!?


私的お気に入りRPG
フォールアウト3
ブレスオブファイア5
タクティクスオウガ
ファイナルファンタジー12
世界樹の迷宮4
ゼルダの伝説 ブレスオブザワイルド
ダーククロニクル
BUSIN0
マザー2
ディアブロ1
シャドウハーツ2
ロマンシング・サガ2
真女神転生3
セイクリッド
ルフランの地下迷宮

cover art work 浜吉竜一


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