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PANK PONK Magagine vol.1 自分の名前

4月に8年半続けたお店を辞めてしばらく海外をぶらぶらと旅行しようと思っていたのですが、こんな状況なのでどこにも行けず、ぷらぷらしています。なので文章の練習でもしてみようと思いエッセイのようなものでも書いてみます。
とりあえず知り合いにお題をもらってそれに沿って書いてみようと思います。初回のお題は友人からいただきました。だいたい2週間に一度くらいを目安に書いていきたいと思います。お題募集してます。

物心ついたときから僕の名前は「浜吉竜一(はまよしりゅういち)」だ。おそらく幼稚園に入る頃までは苗字はなく「りゅういち」もしくは「りゅうちゃん」だったと思う。
自分の名前が気に入っているかと言われたら別にそうでもない。親とあまり良好な関係を築けてないこともあって、自分の名前がわずらわしくなることもあるが長い時間を「浜吉竜一」として生きているので愛着もある。
名前は単なる言葉のはずなのに、それによってある種の枠が出来る気がするのはじぶんだけだろうか。

中学生の時に同級生に「お前はリュウイチぽくないよね」と言われたことをおぼえている。当時はビジュアル系ロックが大変人気があり、当時リュウイチといえばルナシーのリュウイチだった。僕はそう言われてまあそうだなと思ったので「じゃあ、なんて名前っぽいかな?」と聞いたら「タロウかな」と言われた。

それなりに自分の見た目のことも気になり出した頃で、その時のひとことで自分の見た目に対する意識がほぼ決定されたのでないかと思う。タロウ=没個性に。特にハンサムでも不細工でもなく、ごく普通のあまり個性的でもない顔というのが今でも自分の顔に対する自己評価だし、その時リュウイチ(なんとなく見た目がカッコ良さそうなイメージ。なんたってビジュアル系だからね)を目指すのをやめたと言ってもいい。その一言がなければカッコつけてもしょうがないところでカッコつけるような無駄な努力を続けていたのでなかろうかとたまに思う。この時リュウイチからタロウへと見た目のセルフイメージが変容したのだ。名前という言葉によって。

その後高校生になり(まあ、1年だけで中退するのだが)人並みにファッションに興味を持つのだが、自信もないし、自分なりのカッコいいの基準もないのでとりあえずファッション誌にのってたブランドものばかり身につける。当時、最初にお洒落なお店に服を買いに行く時の服装はどうするのか?と真剣に悩んだ。ル・コックのジャージと学校指定の運動靴しか持ってない。

当時は裏原宿系かモード系のDCブランドのブームだったので僕もそれらの服を購入していた。田舎だったので、地元には売っていないアンダーカバーやア・ベイシング・エイプなど愛媛や大阪に買いに行ったりもしてた。
その後ブランドものの服を買ってブランドタグを取って着る(これなどもブランドタグという他者の名前と自分の自意識のすりあわせという名前にまつわることなのではないかと思う。)など自分なりの試行錯誤を経て今に至るのだが、現在は俗にいうノームコアみたいな感じだ。
いつもグレーのTシャツにパンツは2、3枚を着回すだけ。グレーのTシャツに合うことを基準にパンツは買うからどれ履いても変にはならない。ああ、でも帽子とメガネやサングラスは好きでたくさん持ってて気分で変えてるな。中一の時、初恋とほぼ同時に頭に腫瘍ができて手術したので、頭に大きめに傷が有ってはげてるの隠すのにずっと帽子被ってたから被ってないと落ち着かなくなってしまった家の中でも被ってる。笑。でもあの時はもう一生恋人なんて出来ないと思ってしまったよ。

自分の名前に話を戻すと、初対面の人に名乗るのが苦手。
「ハマヨシです」とぶっきらぼうにひとこと。下の名前は言わない。
人の名前を呼ぶのも苦手。だから呼ばなくて良いように名前もあまり聞かない。
なぜかってお互いになんと呼びあうかでその人との関係性がある程度決まってしまうような気がするから。それをまだあまり知らないのに決めれない。

しかし知り合った人に名前を尋ねるといきなり「あだ名」でなのられることもある。実は少し羨ましい。ふたつの人生を生きれる気がするし、自分の名前から少し距離をとれる気がするから。
(自分よりしたの世代の方が小さい時からインターネットに馴染んでいてあだ名というかハンドルネームを現実でも名乗るのに抵抗がないと思う。僕もたまに別名使うけど文字だと良いけど声に出すと恥ずかしい感覚があるので、結局面と向かっては本名を名乗ってしまう。うろ覚えだけど昔ショーペンハウアーの「読書について」という本を読んでたら、匿名で記事を書くことによって文章のレベルがどんどん下がっていると嘆いていて笑った。19世紀の本ですよ。)

それに、こう呼んでと本人に希望を伝えられたのにのにわざわざ違う呼び方をするほどひねくれてはいないので、なんて呼ぶのか考えなくて良いので気が楽だ。しかしまあ20代前半くらいまでは相手の意に沿うのが気にくわないので違う呼び方をしてたような気もするのでぼくも成長したということだろう。
反対にどう呼ぶのか非常に困るのが友人の恋人や奥さんだ。ふたりともと知り合った後に付き合ったり、結婚の流れだと良いのだが、ふたりとも名字が同じなので下の名前で呼ぶしかなく、また友人の恋人や奥様を「○○ちゃん」「「○○さん」と呼ぶのも気恥ずかしく、かと言って呼び捨てもマズい。そこで「○○の彼女」とか「○○の奥さん」と本人がその場にいない場合はそれでよいだが、これもまた男性の付随物として女性を扱っているようで居心地が悪い。何か良い方法はないだろうか?

また、なんのてらいもなく下の名前を名乗れる人これもまた羨ましくある。そういう人は自分のことを好意をもって受け入れている気がするからだ。まあ行き過ぎた自己愛もあまりよろしくはないが、自己嫌悪やねじれた自己愛としての自己卑下よりは数段良いと思う。

「君の名前で僕を呼んで」というティモシーシャラメとアーミーハマー(ハマーが自分の名前に似ているというだけで僕が10代であったら1種のロールモデルとして機能していたかもしれないと一瞬考えるが、しかし身長190センチの白人で大富豪の家系のハマーは自分のロールモデルにはやっぱりならないだろう)主演のロマンス映画(同性愛)があるが、その中でタイトルのとおりお互いの名前を交換して呼び合うシーンがあるのだが、恋人と自分で自我の境界があいまいに溶けあってたいへん幸福でとてもエロティックな気分になる。これなど仏教でいう無我の境地に近いのでないだろうか?

そこで自分をその状況においてみるのだが、僕は残念ながら異性愛者なので当然自分が女性名で呼ばれ相手を男性名で呼ぶことになる。なんか恥ずかしいだけのような気がするのだが皆さんはどうなのだろう、恋人がいる人は試してみて欲しい。

Photo by Hamayoshi Ryuichi
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