則貞

写真と酒場が好きです。noteはエッセイと詩を書いていきます。写真の作品はこちらです。…

則貞

写真と酒場が好きです。noteはエッセイと詩を書いていきます。写真の作品はこちらです。https://www.instagram.com/norisada_photo/

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  • しっくりこない話

  • CMYK

    詩の作品集です。色彩の観点を共通に入れたものを集めています。

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呼吸を止めないで

「なあ、氷を取ってきてよ」  兄はいつもの発作があると僕によくそう言った。それを聞いた僕は冷凍庫から氷を一個手に持ち、シャツをたくし上げて体を震わせている兄の上半身にまんべんなくそれを塗っていく。兄の背中に掻いた跡の赤い線がいくつも見える。しばらくすると、ああ、楽になった、ありがとう、と言って、兄はシャツを戻していつも通りに戻っていく。兄が家に居た頃のよくあった風景だ。僕はまだ小学生だった。  急に発作が来るんだ、そうすると全身に我慢出来ない痒みがやってきて、いてもたって

    • たぶん、すべては、うつくしい

      「配った花の中でどれか名前が分かる人?」 いつからか僕の通っているお花の教室の先生は毎回そう聞くようになった。それを聞き出した当初の先生の説明によれば、芒(ススキ)さえも名前が分からなかった生徒がいたという。お花を生けるのに、名前さえ分からないのは、その花を分かっていないということだから、と。加えて、今度、今まで教室で生けたことのある花の中から名前を書いてもらうテストをします、と先生は言った。テストなんて何年ぶりだろう。 お花の教室に通いだしてもう2年ぐらい経つ。教室に行く

      • ハナおばあちゃん

         早いものでお花を習い始めてから1年が経った。お花をやりだしてからは実家の庭に何かの花が咲きそうになると、母から連絡が来るようになった。実家の花を切り出して生ける練習にできるからだ。ある時は椿が、ある時は水仙が咲きそうよ、というように。ついこの間は、梅の花がそろそろ咲きそうかも、と連絡をもらっていた。ただすぐ実家に採りにいけるほど元気はあまりなくて、実家に行こうとするまで時間がかかってしまった。いつも実家に花を採りに行くときは予め決めて行くのはとても苦手で(過去の自分が今の自

        • あなたは光

          「この枝はこういう向きで生えていないよね。よく普段から観察して。」 僕の生けた花を見て、まず先生はそう言った。  4月からお花を習いに行き始めて半年経つ。僕が通っているお花の教室では、毎回その季節に生えている草花が生徒それぞれに7~8種が用意される。大抵半分くらいは知らないものが入っていて、教室が始まるまで水切り(=水の中で茎や枝を切ること、空気を入れず水の吸い上げをよくするために行うもの)を済ませておく。授業が始まると、先生からその草花に関して簡単な説明があったら、そこ

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        呼吸を止めないで

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        • しっくりこない話
          5本
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          3本

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          ねえ、まだ生きててよ

           昔から何かを作るのが好きだ。小さいころは絵を描くのが好きで、一人で絵を描いていた。学生時代は絵を見せる場がないとつまんないなと思っていたところ、痩せすぎていて自分の体に合う服が無かったので、じゃあ自分で作っちゃえ、ということで服作りをしていた。その後、社会人になって写真作品を見るようになってから、気付いたら写真を始めていて、今に至っている。多分人生至上、一番長く続いている活動だし、多分止めることはないと思う。  何事もそうかもしれないが、マンネリというか変化が起きないと飽

          ねえ、まだ生きててよ

          新年ご挨拶

          「あけましておめでとうございます」 一年に一度、誰しも無条件に与えられる言葉。 何事もなくても一年という区切りの始まりを祝いたい、という趣旨なのだろう。でもなんだか一年を形式的に区切ることに納得できなくて、その言葉を発するたびに、その人にとって果たして何が区切りになるのか、何が始まりになるのか、といつも考えていた。 でも区切りなんて他の人にとっても分からないもの(入学とか就職とか形式的なものは分かりやすいので個別に捉えられるけど、そうではなくて実質的な、大切な区切り)もある

          新年ご挨拶

          線路よ、さようなら

           そろそろ時効だと思うから、書こうと思う。昔、線路に落ちたことがある。数年前のことだ。  丁度その頃、結構仕事が大変だった。自分の会社からお客さんの会社に派遣される形で責任ある立場を任されていた。しかもお客さんの会社の政治構造がかなり複雑で、自分はかなり弱い立場にあった。お客さんの会社の当時の重役から、参加者が十数人いるような会議で机を激しく叩かれながら罵倒されたり、宛先が五十数名あるようなメールで名指しで攻撃されたりするのが日常茶飯事だった。また、その重役の派閥に所属して

          線路よ、さようなら

          鳥のコーラス

          輪郭失くした 壊れかけの影 窓に映る その唇 ゆっくり震わす 消えてゆく光 輝き眩しすぎて 鳥のchorus 腫れた瞼 開くの 分かるよ、だなんて 上辺の言葉で 安心するほど 間抜けじゃないわ 逃げ場を失くした 作りかけの愛 鏡映る この唇 ゆっくり震える 包み込む空気 優しさ苦しすぎて 好きなmusic 赤い瞳 閉じるの 好きだよ、だなんて 思わせぶりで 期待をするほど 間抜けじゃないわ 輪郭失くした 壊れかけの影 窓に映る その唇 ゆっくり震わす 消えてゆく光

          鳥のコーラス

          ミミズとゴリラのビデオテープ

          自分には小さい頃の記憶というのがあまりない。恐らく一番古いであろう記憶は、幼稚園に通っていたころ、実家の縁側に朝の光が射し込んでいて、その光が何だか眩しくて、前髪が邪魔に感じてハサミで髪をバッサリ切ってしまったことと、同じ時期に劇団に通っていた時のことだ。 気付いたら、劇団に入っていた。多分自ら志願して入っていない。元々僕の母は、人前に立つのが好きで、昔は公立中学の英語の先生をしていた。どういうきっかけでそうなったか分からないが、テレビのモーニングショー番組のオーディション

          ミミズとゴリラのビデオテープ

          チューリップが咲いている

          「おばあちゃんから預かっていたものがあるの」 そう言って母から連絡があったのは、祖母の葬儀から一週間ぐらい後だった。 祖母の遺品を整理していたら、孫たちそれぞれに風呂敷包みを作ったこと、自分が死ぬまで開けてはならないこと、ということが書かれた覚書が出てきたというのだ。それを母が見て、二十数年前に母がその荷物を預かっていたことを思い出したようだった。 春が訪れたような暖かい日曜日、僕は実家を訪れた。 その風呂敷包みはさすがに年期が入っており、少し黄みがかっていた。その中にさ

          チューリップが咲いている

          チューリップはもう歌えない

          人は死ぬのだ、と初めて認識したのはいつだっただろう。 僕の場合は小学三年生の頃に、父方の祖母が亡くなった時だった。父方の祖母はおしゃべりで非常に口が悪く、その口の悪さがとても面白い人だった。埼玉の出で自分のことを「オレ」と言っていた。毎月うちの実家に泊まりに来ていて、その日がいつも楽しみだった。祖母を囲んでの会話がいつも面白かったのだ。その祖母が一人暮らしの家で亡くなり、実家で葬儀が行われた。僕の両親が葬儀の準備や来訪者の対応等あくせく動いている中、僕は何もできずにただそれ

          チューリップはもう歌えない

          幸せという言葉なんて捨ててしまえ

          昔から「幸せ」という言葉が嫌いだ。 世の中には「幸せ」が蔓延っている。「幸せになるための○○の法則」、「何々で幸せになる」、「誰々と幸せになるために」・・、本でも記事でもそんなタイトルばかりだ。街に出れば幸せをお祈りさせてくださいという人がいるし(これは意味が違うかも)、酒場に行けば幸せになりたい、という言葉が耳につく。「幸せ」が吐いて捨てるほど存在している。 特に嫌いな言葉が「幸せにする」と「幸せになる」だ。 「幸せにする」はよく結婚式で新郎が新婦に言うのを耳にするセ

          幸せという言葉なんて捨ててしまえ

          自分の意見を隠して正当化するフレーズがしっくりこない

          酒場で飲んでいる際、「本当の」というフレーズが使われる会話を時たま耳にすることがある。学生時代は特に気にすることは無かったが、酒場に通い出してからはいつのまにか気になるようになってしまった。 たとえばシチュエーションはこうだ。 猫なで声の女と斜に構えた男が横で飲んでいる。女は男に過去の恋愛話らしき話をしている。恐らくうまくいかなかった話のようだ。二人は周りに目をくれず、ひたすら話し込んでいる。そんな時に男が言う「○○ちゃんは、本当の愛をまだ知らないんだよ」。女は「そうかな

          自分の意見を隠して正当化するフレーズがしっくりこない