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ねえ、まだ生きててよ

 昔から何かを作るのが好きだ。小さいころは絵を描くのが好きで、一人で絵を描いていた。学生時代は絵を見せる場がないとつまんないなと思っていたところ、痩せすぎていて自分の体に合う服が無かったので、じゃあ自分で作っちゃえ、ということで服作りをしていた。その後、社会人になって写真作品を見るようになってから、気付いたら写真を始めていて、今に至っている。多分人生至上、一番長く続いている活動だし、多分止めることはないと思う。

 何事もそうかもしれないが、マンネリというか変化が起きないと飽きてしまうし、面白くなくなってしまう。写真についてここ最近はそんな状態で、何か変化を起こしたいな、と思っていた。そんなことを考えていた時期に、人物を被写体として撮っている写真仲間の写真展があり、観に行った。その仲間の作品は前々から好きなのだけれど、その作品は、自身の人生で今までの関係性で繋がった人々を、その関係性があるからこそ、関係性含めてその魅力を自然と写真に浮き上がらせていて、とても素敵だった。その人だからこそ、出せる個性で、改めて凄いな、と思った。

 自分なりの何かが出来ないか。自分は写真の対象として、草花や木を選んでいることが多く、その草花や木をちゃんと撮りたい、とずっと考えていた。ただ、自分の人生で草花と出合ってきたわけではないし、そこまでの関係性を結んでもいない。だったら、その草花のことをもっと知ることがいいのではないか。その写真仲間とは逆のパターンだ。写真からの流れで被写体をさらに理解する。それを写真に活かして行ければいいのではないか。

  ということで4月から花を習いに行くことにした。生け花というと、剣山を使うイメージなのかもしれないが、僕が習うのは「なげいれ」というものだ。昔から剣山を使うのは無理やり花を固定して、そうあって欲しい絵姿に草花を強制的に変えてしまうから、何だか暴力的だな、と思ってやりたくなかったのだけど、「なげいれ」は剣山を使わず、花器にただ草花を挿す、それだけのものだ。その自然さがとてもしっくりきて、習うことにした。

 去年からコロナの影響で自分の両親とはオンラインで会うのみで、一年近く実際には会っていなかった。時折オンラインで会う両親は、話せるのは嬉しそうであるが、いつも少し寂しそうだった。このまま会えずに死ぬのかしら、というセリフは何度聞いただろう。この状況が影響しているのか、父が体調を崩しがちで時折入院するようになっていた。

 年明けにお花の教室に通えることが決まってから、教室の始まる4月まで待っていられなかった。まず、「なげいれ」の本を買い、読み漁った。早く練習したい。ただ、花屋で花を買って生けるのは、味気ない気がする。考えてみたら、自分の実家には庭があるから、そこから切り出せばいいし、外なら感染も気にしなくて両親に会える。そう気づいて、実家の庭に花を仕入れに行くことにした。

 久しぶりに実際に会う両親は昔と変わりない両親だった。ただ、父は昔の頑固さが消え、少し元気がないようだった。でも両親とも庭に出て来てくれ、庭に生えている木や草花たちについて説明してくれ、それがとても嬉しそうだった。僕はその時庭に生えていた水仙と椿の蕾を切り出して持ち帰った。

 そして、初めて花を生けた。空間に対しては体積的には小さな存在かもしれないが、花があるだけで、空間の雰囲気ががらりと変わる。自分で切り出してきた花がこんな存在となるなんて何だか誇らしかった。蕾の状態のまま生けてもなかなか咲かないよ、と母に言われた椿は見事に咲いて、とても嬉しかった。

 
 花を切り出す、それはある意味本体から切り離してしまうことだから、それは殺してしまっていることなのかもしれない。でも、切り出したことで、存在する空間にそれこそ「華」を与える身として、生まれ変わってもらっているのではないか。自動詞の「生きる」でもなくて、他動詞で強制的な「生かす」でもない。「生ける」という言葉は、花に対して、新たな存在として生まれ変わった対象物としての荘厳というか尊敬の念が入った言葉なのではないか、と考えるようになった。

 気付いたら毎日水切りをし、水を替えるようになっていた。花を散らさず、枝を折らぬように。ねえ、まだ生きててよ、まだ美しくいてよ、と思っていたのだと思う。大切だからこそそう思うのだろう。
 花を生ける、ということは生ける前にそのような思いを持つことが重要なのではないか。その思いがあるからこそ、できる限り美しく生けることができるのではないか。まだ花を習いには行き始めてないけど、そんなことを勝手に学んでいる。

 最近また父が体調を崩して入院した。大事には至っていないが、いい年だ。母も同じくいい年である。いつ何が起きるか分からない。そして身の回りの大切な人たちも、年齢に限らず、いつ何が起きるか分からない。みんなに対して、「ねえ、まだ生きててよ」って、多分、無意識でそう思って生きている。

#エッセイ #コラム #なげいれ #生け花


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