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失ったもの、得たもの

Googleフォトには過去の写真をレコメンドする機能があります
その写真を眺めていて

「あれ?昔撮った写真の方がよくない?」

って写真がありました
でも「写真のよさ」ってなんだろうと

数年前はフルサイズのミラーレスを使っていた
ソニーのα7iiiでブランドとしてはエントリー機、
でも機能は十分だし、AFも早かったので不満はなかった。
これをベースにレンズを何本かもってた。
まだちゃんと写真を撮り始めて間もない頃だったので、ちゃんと出かけるときや風景撮影、もちろんポートレートもこれで済ませていた。

使っているうちの不満というかなんというか、
まずは荷物の多さ、これはやはり今でもそうだがいくらカメラ自体が小型化してもやはりどのレンズもそれなりの大きさがある。
一本で済むはずがやはり「もしかしたら」と思って、数本持って行く、
更に荷物が多くなる・・・・。
ちゃんとした写真を撮るならと考えればそれぐらい当然かもしれない。
ただ、やっぱり”いかにも写真撮ってる人”みたいな風貌担ってしまうところがちょっと嫌であった。

次に新機種のライフサイクルが早い。
自分が買ったのが発表されて1年後ぐらいで、その1年後ぐらいにはもう後継機やハイエンド機が出る状況であった。
機能や画素には不満がないといいつつ、やはり新機種がでると心は穏やかではない。
さらに他メーカーからもわんさかと・・・。
そんなライフライクルにちょっと辛さを感じていた。

ちょうど3年ぐらい経った頃、サブ機として身軽なカメラはないかと模索していた。
その中で前々から気になっていたLeicaが候補として上がった。
なんとか資金をかき集めて、M10-Pを購入。
本体だけでも現行のエントリー機+レンズ数本変える金額であった。
使い始めた当初はほんとなれなく、ちょこちょこポートレートでも使ってたがピント合わせが至難であったのとサブカメラボジションだったので更に荷物が増えたので重装備状況になってしまった。

きっかけは色々とあったものの、ふと
「Leicaだけで撮ってみようか」と思い立った。
何度かLeicaだけでポトレ撮影してみて慣れてきた事もあった。
さらにメイン機のSDカード読み込み問題がそのころ多発してしまい、撮影に行って写真が取れないという状況が発生してしまった。
そこでメインをLeicaにしてしまえと考えた。

Leicaをメインにしてからやはりとにかく荷物が少ない、身軽になった。
これはちょっと前の自分なら
「写真取らないならバッグいらないや」
と身軽スタイルとほぼ同様の状況である。
ほんとカメラとレンズ数本持っても、小さめのショルダーにしっかり入るし、なにより”いかにも写真取ってる人”感がほぼないのである。

カメラをいつでも持ち出す状況になったのでいつでもしっかりした写真を撮ることができるようになった。
さらにちょっとカメラを出すと、そこからコミュニケーションが生まれることが一つ得たものかもしれない。

写真を撮ってる人にとっては写真を撮るのは当たり前かもしれない。
でもマジョリティ的に考えると昨今のプライバシー観点やそういうのを気にする人にとってはやはりあまり良く思われないものである。
なので撮ったらすぐしまうであったり、すごい高精細な写真を取られてしまうかもしれないという世間の不安を煽らないようにするのも気遣い。
カメラが小さければ気づかれづらいし、そもそも大した写真取れないだろうと思わせるのもある意味写真に対する不安感を拭う1つかもしれない。

世の中マイノリティ化が進んでいる中、自分だけが良ければいいという時代でもない。
そんな世の中だからこそ理解をしてもらうための努力も必要だし、対面の人たちへの気遣いも必要かと自分は考える。

話がそれてしまったが身軽になったことでまた違った見解や、できることの幅が広がったと思う。
反面やっぱり作品作りをすると考えると心もとなさと、工夫が必要になった。

たかがカメラを変えただけだがそれだけでもこう思うことがあるということはそれなりに成長があったからかもしれない。


毎度というか、今の自分の信条として
写真はコミュニケーションであり、何かを伝える伝わるものでありたいと考えています。
撮る人、撮られる人、見る人が円滑なコミュニケーションが取れて、なにか感じて、その人の成長するためのなにかであってほしいと考えています。

朝から作文してしまったw




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