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春の夜の夢

 昔、物心ついてしばらく経った頃、人生の記憶としては三ページ目の半ばあたりの時期の私は、しばしばこんな事を考えていた。「自分は本当にここに存在しているのだろうか。今見えている物も、聞こえている音も、私がそう"感じている"だけで本物ではなかったら?今の私が生きている世界は、私が普段みるそれよりもずっと長い夢で、ある時ふとした瞬間にそちらの側の現実に戻るのではないか。」
 まだ、夢と現実の違いが曖昧だったその頃の私は、少し怖い話をテレビで観る度に悪夢にうなされ、夜中に部屋中を走り回っていたそうだ。所謂夢遊病である。得体の知れない、とてつもなく大きくて恐ろしい何かから必死で逃げていると、誰かの声が聞こえてくる。それは少しずつ大きくなって、自分を呼ぶ声だと分かる。次の瞬間、私の身体を揺さぶりながら、大声で私の名前を読んでいる青ざめた母が視界に飛び込んでくる。突然の展開に驚いている私を見て、母は少し安堵した様子で、「気が付いた?よかった・・・もう大丈夫だからね。」と揺さぶっていた身体を抱きしめて、頭を撫でてくれた。汗だくでまだ息切れのしている小さな身体を母に預けながら、私は自分の身に起きていたはずの事と、今の自分の身に起きている事を、思い比べた。今私を抱きしめている"母"は、私を産んで、私を育ててきた人であり、私を母が抱きしめている今が現実なのだろう。そして、それまで必死に逃げていたはずの"何か"は、私の夢の中の存在で、現実ではなかったのだ・・・


 目を覚まして現実と比べてみると、それまで見ていたはずの物や人が"夢"の中の存在だった事に気付く。トイレに行きたくなって、起きてトイレに行ったのに、全然すっきりしない。どうしてだろうと思っていたら目が覚めて、トイレに行く夢を見ていた事に気付く(漏らしてなくて良かった・・・!)決して珍しい事ではないと思う。何十年と生きていると、自分の人生を"現実"の方だと信じて疑わなくなるけれど、あの頃の私は、自分の人生をまだ"夢"の方かもしれないと考えることが度々あった。「目が覚めた時の私の"現実"はどんなだろう。この間テレビでやってた映画『マトリックス』みたいに怖い世界でないといいな・・・現実の世界では、娯楽のようにこうして色んな人生を楽しめるのだろうか。だとしたら、次はどんな人生がいいだろう。もし、今見えているものが本当に全て夢だったとしたら、現実に戻ったら今の家族とはもう会えないのだろうか?どうせなら、現実に戻る時には夢を忘れていた方がいい。」お風呂でお湯に浸かる時間、浴槽と湯沸かし器の間の暗く深い溝を覗き込みながら、そんなことをぐるぐると考えていた。

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