「ゼレンスキー演説」を利用する、れいわ新選組の奇妙な理屈。
もう正直いうて、まともに相手するのが疲れ始めてるんで手短に。
れいわ新選組は、3月23日(水)に行われた「国会議員向けゼレンスキー演説」に対して総括文書を発出しています。
「国際紛争を解決する手段として武力の行使と威嚇を永久に放棄した日本の行うべきは、ロシアとウクライナどちらの側にも立たず、あくまで中立の立場から今回の戦争の即時停戦を呼びかけ和平交渉のテーブルを提供することである。国際社会の多くの国家がその努力を行わない限り、戦争は終結しない」とか、「おい。ロシアは、国連の安全保障理事会の常任理事国だぞ、そのロシアが、国連憲章違反してるのに、『ロシアとウクライナのどちら側にも立たず』とかよく言えるな」とか、ツッコミどころ満載ですけど、まあ、それは所詮、「見解の相違」で終わるところなんでしょうよ。知らんけど。
まあ、どんな理屈でも捏ねることは可能です。そして戦争なんて半分以上ポルノと一緒なんで「戦争を見て語っちゃうボク、かっこよくない?」と言いたがる人が出るのも仕方ないことです。そしてその際、「世間と一風変わった立ち位置から語っちゃうボク」が演出できれば、もう、最高っすからね。知らんけど。
なんで、「あの戦争をどう理解するか」については、本稿では脇に置きます。いうても通用せんやろし。
が、この文書には、見逃すことのできない過失があります。そしてその過失は、もし、れいわ新選組が、国会の一角で勢力を揺する「国政政党」なのであれば、あり得ないほどの手痛い過失です。
問題は、「補足【開催・出席自体の是非】」のセクションのここ
はぁ。
何をいうてはるんでしょう?
この人たちは、国会議員のはずです。毎日毎日、国会に行ってるはず。議場での仕事がない日でも国会議員の仕事は山ほどあって、とりわけ事務所でレク受けたり、質問の準備したりと大忙し。与党の自民公明の議員さんならいざ知らず、野党であればなおさら忙しいのがこの時期。だから必ず毎日、国会議事堂もしくは議員会館に足を運んでいるはずです。知らんけど。
よしんば、本人が足を運んでなくても、秘書やスタッフが必ず毎日事務所に行ってるはず。そして、通常国会の最中なんですから、毎日、衆議院なら衆議院、参議院なら参議院の「公報」を受け取ってるはずです。公報にその日の国会日程が全部載ってる。逆に言えば、公報に載っていない項目は、国会の日程じゃない。
では、ゼレンスキー演説のあった23日の公報を見てみましょう(PDF注意)
DLしてよーく読んでみればいい。衆議院・参議院ともに、公報にゼレンスキーのゼの時も出てこない。つまり、ゼレンスキー演説は「国会日程」じゃないってことです。
さらに、その日になると院の事務局から送られてくる「国会日程」って資料もある。公報ちゃんと読んでりゃそんな資料いらんのでしょうが、院の事務局は親切なんで公報で日程把握できない頭の弱い国会議員事務所のために日程資料を別途作ってくれてるわけです。下図はゼレンスキー演説の当日、参議院事務局が各国会議員に配布した日程資料。
確かにこの日程資料にはゼレンスキー演説が出てくる。が、よーーーくご覧ください。ゼレンスキー演説は<>カッコで、くくられている。これがどういう意味かは、24日の日程を見ればよくわかる。京都府知事選挙の告示日も<>カッコでくくられているでしょ?つまり、この紙では「ゼレンスキー演説」も「京都府知事選挙の告示日」も同じ扱いということ。で、「京都府知事選挙告示日」が国会日程でないのと同じで「ゼレンスキー演説」も国会日程ではないということ。
と、このように、「ゼレンスキー演説」が「国会日程」であった事実はありません。むしろ今回、日本の国会は、ゼレンスキー演説を国会日程にすることを拒んだことで、議院内閣制と議会制民主主義の本義と伝統を守る姿勢を示したんです。(今回の国会の判断がいかに素晴らしいか、野党だけでなく自民党サイドもいかに工夫を凝らしたかについては、アホの子向けのnoteではなく、かしこ向けの私のメルマガで詳述してますので、ご興味のある方はどうぞご覧ください)。
「公報に載っていない以上、正式な国会日程じゃない」「日程資料でも、ゼレンスキー演説は国会日程ではないと扱われている」なんてことを、そこらへんのにーちゃんねーちゃんが知らんのはしゃーないです。しかし、国会議員が、ゼレンスキー演説が正式な国会日程じゃないことを知らないはずがない。もし知らないとするならば、あり得ないレベルの職務怠慢か、信じられないぐらいの国会軽視かのいずれかです。
ゼレンスキー演説が、正式な国会日程じゃない以上ーーー法的な性格は、「仕事の後の打ち上げ飲み会」と一緒ですーーー、出席するかどうか悩むなんてのは、茶番でしかない。
なにが
だよw
出なきゃいいじゃん。「国会日程をサボタージュした」のなら政治的意味が生まれることもあるかもしれんけど、「国会日程でないものに出席しなかった」からとて、それが何の政治的意味を生むのか。言わなきゃいいだけの話です。
あの演説に出席しなかった政治家なんて掃いて捨てるほどいる。自民党の政治家だって参加してない人はいる。ましてやあの現場のスタンディングオベーションに加わらなかった人なんてもっとたくさんいる。でも誰もそんなこと喧伝しない。だって「国会日程でもない、時間外の自由参加の特別イベント」でしかないんだもの。
にもかかわらず、あえて「出席するかどうか悩んだ」なんてことを「党の公式談話」として発表するのは、極めてレベルの低いパフォーマンス。
さらに悪質なのはここ
これなんか、確実に読む人を騙しにきてますよね。
だってよw
わかってんじゃんw
まあ「本会議場を利用しないという判断」ではなく「国会日程にしないという判断だから本会議場を使うわけがない」が正確なところだけども、いずれにせよ、「ゼレンスキー演説は、国会として意味を付与するものではない」ことに変わりない。「国会議員の職責として、何の意味もないこと」であることは、こう書いてるれいわ新選組が理解してるわけですよね。「意味がない」のに、「悩んだこと」を表明している。思春期かよw
僕は今まで、「れいわ新選組は、ロシアウクライナ戦争が必然的に産んでしまった、日本の社会の全体主義的雰囲気に抗ってるんだろうな」「れいわは、戦争を政治的主張に利用する、自民党や維新の核武装派などのあの薄汚い姿に、掣肘を加えているんだろうな」とおもていました。
しかしそうじゃない。ロシアウクライナ戦争がもたらしたある種の興奮状態を、誰よりも自分の政治的立場の補強のために利用しているのは、れいわ新選組です。
こんな独りよがりで幼稚な理屈に騙される方も悪いんだけど、騙される方「も」悪いとはいえ、騙しに来てるやつの方「が」悪いのは間違いない。国会の伝統を軽視し、議院内閣制や議会制民主主義の原則を踏み躙り、そのくせそれを利用して自己喧伝に使うような政党は、維新だけだと思ってたら、れいわ新選組も同じ穴の狢ですよ。
あーあ。情けねぇなぁ。
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