「好き」を仕事にするのは、もっと好きになるためだ
3割の不安と7割の開き直りで向き合った就職活動は、5月の末に幕を下ろした。なので、最近の私はというと、週2で7時間アルバイトに従事し、週3で蔦屋書店と図書館に入り浸り、週1でnoteを書きつつ大学の研究を進めている。
そうして余った1日は気の向くままに過ごす。溜まったやりたいことに手をつけることもあるし、1人で遠出をすることもある。「暇だった」と言いながらふらりと働きに行くことも多い。
人生のモラトリアムを過ごすなかで働き方について考えることがある。
2021年7月7日、七夕、雨。
現在私は大学4年生。ちなみに文系。
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小さい頃から音楽家や芸術家になりたかった。それは単に音楽や絵が好きだったというのもあるが、何よりも好きなことを一日中している姿に憧れたからである。
なので、アルバイトは給料ではなく好きなことを基準に選ぶことにした。その結果、音響PA、居酒屋スタッフ、デザイナー、webライターなどを経験した。
実際に働いてみて分かったことがある。好きなことで賃金を得ることは想像よりも難しく精神的に苦しいのだろうなということだ。
自身のこだわりに比例しない評価。求めているものと求められているもののギャップを感じるたび、私は焦り、苛立ち、悲しんだ。
それでも必死になって作りあげた看板、パッケージ、web記事などが形になっているのを見ては1人興奮し、「見て! これ、私が作ったの」と心のなかで自慢しまくっていた。
好きなものを仕事にすることは、好きなことのために仕事をするよりもはるかに私の性に合っていた。
私は負けん気が強く、自分には才能があるという謎の思い込みも強く、学ぶことが好きだった。加えて手の抜き方は壊滅的に下手であり、「頑張らない」という言葉は辞書にあらず、「何事も全力投球!」というスポ根発想の持ち主でもあった。
だからこそ、努力がそのまま評価に反映される働き方が私には向いていた。良い評価がもらえると素直に嬉しい。そうして、人に認められたという事実は好きなことをより好きになる糧となった。
悪い評価やそもそも評価されないという現実は自身の警告になった。警告のおかげで私はこまめに努力する方向の軌道修正ができ、ムダな努力を減らせた。
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好きなことに支配された生活は感情に支配されやすい。好きであるがゆえにこだわり、固執し、傷つく可能性が高いからである。そのため決して賢明な生き方ではないのだと思う。それでも、とても単純明快でわかりやすい。
喜怒哀楽と+α、ほぼ全ての感情が好きなことから生まれ、活力として還元されていく。
働くことが人生における死ぬまでの暇つぶしならば、私は好きなことを仕事にし、そこに付随する苦しみや悲しみ、恨み、喜び、楽しみ、全てを受け入れ、ときには諦めながら生きていくような働き方をしたい。
なぜなら、働き方は肩書きの数ではなく人の数あるのであり、少なくともそれが私にとっての賢明な働き方だと思うからである。
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