不思議な記憶がある。
小学生の頃、私はひとりで遊ぶのが好きな子供だった。学校からの帰り道、家とは真逆の方向に足を向けて、自分の黒い影を追いかけて目的もなくただ歩く。
伸び縮みする影の様子が面白くて道路に視線を落として歩いていると、道端に咲く名前も知らない小さな花を見つけた。もっと綺麗で珍しい花が見たくて、次の花を探そうと民家の生け垣や電信柱の脇に咲く花を追いかけているうちに、いつのまにか知らない住宅地に迷い込んでいた。
どれもよく似た色形の家々が規則正しく並ぶ風景に工場見学で見たショートケーキを思い出し、巨大なケーキの狭間に迷い込んでしまったような不思議な気持ちになる。
どこかの家から聞こえるテレビの笑い声、繰り返されるピアノの練習の音色、形を変え流れていく雲のかたち。そのどれもが高く、手を伸ばしても届かない遠い場所にあった。
急に寂しくなって元来た道を振り返ると、そこには一匹の猫がいた。
猫は、じっとこちらを見つめると、まるで「ついてこい」とでもいうようにゆっくりと進み出す。
にょろにょろと動くしっぽに案内されるようにして、その後をついていく。
猫が民家の塀の上に軽々とジャンプすると、同じように塀によじのぼり、猫が細く狭い路地にぬるりと潜り込むと、同じように身を屈めて進んでいく。
猫との不思議な散歩は、住宅地を抜けて古びた神社へと続いていった。境内に設置された小さな遊び場に到着すると、猫はリラックスした様子で伸びをしてベンチの上でくつろぎはじめる。
同じようにベンチの上に寝そべって、風で揺れる木々の葉や青と赤が混ざった空を見上げた。そのどれもがさらに高く遠くなっていたけれど、猫と同じ目線で猫と同じものを見て、猫と同じ音を聞き、猫と同じ風を感じているからか、寂しさは感じなかった。
猫は気持ちよさそうに喉を鳴らし、柔らかな耳をぱたつかせ、体を丸めて瞼を閉じた。同じように、喉を鳴らし、耳をぱたつかせ、体を丸めて瞼を閉じる。
猫になるのは、気持ち良い。
今でもたまに、あの時のように猫になりたいと思うときがある。こんな風に、仕事で何時間もPCを睨めつけなくてはいけない日は特に。
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