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離見の見、それはメタ認知?〜能的生き方のすゝめ〜

こんにちは。渡邉瑞子でございます。
久しぶりの更新になってしまいましたが、皆様お元気でお過ごしでしたでしょうか?
今日は、世阿弥の遺した金言のうち、「離見の見(りけんのけん)」について、お話しようと思います。

世阿弥は室町時代、結崎座(現在の観世流の祖)の棟梁であった観阿弥の息子として生まれ、のちに時の将軍•足利義満に見出され寵愛を受けながらも慢心せず、能を大成させたカリスマ的存在です。
世阿弥は優れた役者であると同時に脚本家、演出家、経営者でもありました。
そんな世阿弥は文筆家でもあり、数々の金言を残してくれています。ありがたいことにこんにち、私たちは図書館や書店でいとも易く世阿弥の本を手にすることができます。

世阿弥の言葉で有名なものは「初心忘るるゝべからず」•「秘すれば花」が挙げられます。こちらについても、いずれこのnoteで書きたいと思っておりますが、本日は表題の「離見の見」についてお話します。
離見の見は世阿弥の著した『花鏡』の中に出てくる言葉です。
以下引用

見所より見るところの風姿は、わが離見なり。しかればわが眼の見るところは我見なり。離見の見にはあらず。離見の見にて見るところは、すなはち見所同心の見なり。その時は、わが姿を見得する也。我が姿を見得すれば、左右•前後を見るなり。しかれども目前•左右まてを見れども、後姿をばいまだ知らぬか。後姿を覚えねば、姿の俗なるところをわきまえず。さるほどに離見の見にて見所同心となりて不及目の身所まで見智して、五体相応の幽姿をなすべし。これすなはち、「心を後ろに置く」にてあらずや。        引用終わり

能舞台の構造は変わっていて、お客様から向かって正面はもとより、右側(脇正面)からもお客様から見られ、左側からは地謡(コーラス)から見られ、背後からお囃子方と後見の視線に晒されています。360度、見られている。しかし自分だけは自分の姿が見えない。何なら能面を掛けると自分の目の前さえ殆ど見えない。
それでも、見所からはどう見えるかな?背中がだれていないかな?と、どこから見ても美しい彫刻的な美しさを目指さして稽古しております。

私たちは、普通、鏡がない限り自分の姿を見ることはできません。しかしだからと言って、客観的な視点を放棄してしまうと時には独善的になってしまったり、孤立したりしてしまい、本人のみならず周りも不幸な事になってしまうかもしれません。
脳神経学的には、この様な第三者的視線を以て物事を認知することを「メタ認知」というそうです。
もちろん、人間である以上、完全にバイアスから逃れる事はできませんし、どこまで行っても自分の脳で認知するわけですから、完全な客観というものは無いと思いますが、そうあろうとするのとしないのでは、大きな違いがあるのではないでしょうか?

お能のお稽古をなさっている方にとっても、そうで無い方にとっても、世阿弥の言葉は示唆に富んでおり、600年の時空を超えて現代を生きる私達にも学びや気付きを与えてくれるのは凄いことですね!

それでは、また。

長くなりましたが最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

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渡邉瑞子 わたなべみずこ
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