渡邉瑞子わたなべみずこ

こんにちは🌸 観世流シテ方能楽師の渡邉瑞子です。 noteではお能や舞台の話、日々の事など、書いていきたいと思います。どうぞお付き合い下さいませ。 山梨県出身。都留文科大学文学部国文学科卒業後、東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻に入学、卒業 人間国宝故野村幻雪師に師事。

渡邉瑞子わたなべみずこ

こんにちは🌸 観世流シテ方能楽師の渡邉瑞子です。 noteではお能や舞台の話、日々の事など、書いていきたいと思います。どうぞお付き合い下さいませ。 山梨県出身。都留文科大学文学部国文学科卒業後、東京藝術大学音楽学部邦楽科能楽専攻に入学、卒業 人間国宝故野村幻雪師に師事。

最近の記事

【ご報告とお願い】第一回かさねの会発足

こんにちは。渡邉瑞子でございます。 すっっかり更新が遅くなりましたが、、、皆様お変わりありませんでしょうか? いつも、応援してくださりまことにありがとうございます。 本日は、皆様にお知らせとお願いがございます。 私たち田口亮二と渡邉瑞子は、野村幻雪先生の同門として藝大時代含め20年ほど共に切磋琢磨し、今後益々斯道に精進すべく、この度二人の会を発足しました。 会名を「かさねの会」と申します。 故野村幻雪先生の教えを胸に、まだまだ未熟者ではございますが、これからも少しでも芸を

    • 歌と声が好きです

      こんにちは、観世流シテ方の渡邉瑞子でございます。 今日は、声についてお話ししたいと思います。お付き合い頂けましたら幸いです。 子供の頃から歌が好きでした。二つ上の姉は中学で合唱部に入っていたので、いろんな歌を覚えてきては口ずさみ、私もそれを覚えていきました。中学生の時、音楽の先生に声が綺麗だと褒めて頂いたのがとてもうれしかったのを覚えています。私は勉強もスポーツも苦手だったので、あまり親にも人にも褒められたことがなかったので、貴重な経験でした。 小学1年生から6年生までピ

      • 都留文科大学のころの思い出 前編

        こんにちは。渡邉瑞子ございます。 いつもこのnoteにお運び下さり、誠にありがとうございます。 毎日寒い日々が続いていますが、体調を崩されたりしていませんか? 今日は都留文科大学時代のお話をしようと思います。 このnoteにも書きましたが、私は富士吉田市の高校を卒業した後、都留市内の都留文科大学に入学出来ました。 都留文科大学は都留私立の公立大学でして、教師を多く輩出する大学てす。私の父も都留文科大学(以降「文大」とさせて頂きます)を卒業し教師をしておりました。 市内と

        • してみて良きにつくべし 

          こんにちは、観世流シテ方能役者•渡邉瑞子です。 令和六年、明けて早々に能登半島地震の発生でお亡くなりになった方々、いまだ被災生活を余儀なくされている方々に心よりおくやみとお見舞いを申し上げます。 本日は、以前私の主催するお能体験ワークショップでお話しした内容の一部をこちらのnoteでもシェアしようと思います。 「ビジネスパーソンとしての世阿弥」と題したワークショップで、よく天才と称される世阿弥は順風満帆な人生ではなく、実に波瀾万丈で苦労と努力の人であること、経営者でもあ

          令和3年から5年を振り返り…

          皆様、こんにちは。 長らくnoteを放置しておりましたが、お変わりなくお過ごしでしたでしょうか? いつも何かとお心に留めて下さり、こちらにお運びくださること、有り難く感じております。本当にいつもありがとうございます。 私は令和3年8月に第一子を出産しましたが、その月の末に生涯の師匠 野村幻雪先生が鬼籍に入られ、大きな喪失感を抱えながら過ごしておりました。 おかげさまで翌令和4年には舞台復帰させて頂き、今年は多くのお舞台、お弟子様方のお稽古、ワークショップ、大学の講義、

          令和3年から5年を振り返り…

          野村幻雪先生三回忌公演を前に思うこと

          皆様こんばんは。 noteの更新を長らくサボっておりましたが、、、お変わりありませんでしたでしょうか? 毎日毎日、暑いですね。 明日は、海の日、銀座•観世能楽堂で野村幻雪先生の三回忌追善公演が催されます。 約20年お仕えした幻雪先生への思いは、当面言語化出来ないと思っておりましたが、今は、ただただ感謝、感謝の思いで一杯です。 こんな私を弟子にしてくださって、ありがとうございます。

          野村幻雪先生三回忌公演を前に思うこと

          五人囃子のヒミツ、というほどではありませんが…「暮らしの中のお能」

          こんにちは、観世流シテ方能楽師•渡邉瑞子でございます。🌸 ここのところ暖かい日が続いて、冷え症の私にはありがたいです。皆様いかがお過ごしでしょうか? 今日は3月3日、雛祭りですね🎎私の故郷では旧暦由来なのか、雛祭りは4月ですが全国的には3月に行われることが多いようです。 雛祭りの縁起についてはwikiなどご覧頂くとして、本日は、五人囃子についてお話したいと思います。 ↑こちらは都内某区某施設で撮らせて頂いた、今では珍しくなってきた七段飾りのお雛様です。 上からお内裏様とお雛

          五人囃子のヒミツ、というほどではありませんが…「暮らしの中のお能」

          お能はとってもダイバーシティ?能の五番立についてのお話

          こんにちは。観世流シテ方能楽師•渡邉瑞子です。 春めいて来ましたが、まだまだ寒い日が続きますね。 さて、今日は能楽に見えるダイバーシティ=多様性 と寛容さについて思うところを書いていこうと思います。 私が子供の頃とは異なり、こんにちの日本は様々なルーツの方がおられ、価値観も多様化してきている様です。 では、お能の題材にはどの様な人たちが登場•活躍しているのでしょうか?今日は能の五番立のお話を中心に、お能の表現の多様性、寛容さについて見ていきたいと思います! お能の曲の現行

          お能はとってもダイバーシティ?能の五番立についてのお話

          離見の見、それはメタ認知?〜能的生き方のすゝめ〜

          こんにちは。渡邉瑞子でございます。 久しぶりの更新になってしまいましたが、皆様お元気でお過ごしでしたでしょうか? 今日は、世阿弥の遺した金言のうち、「離見の見(りけんのけん)」について、お話しようと思います。 世阿弥は室町時代、結崎座(現在の観世流の祖)の棟梁であった観阿弥の息子として生まれ、のちに時の将軍•足利義満に見出され寵愛を受けながらも慢心せず、能を大成させたカリスマ的存在です。 世阿弥は優れた役者であると同時に脚本家、演出家、経営者でもありました。 そんな世阿弥は

          離見の見、それはメタ認知?〜能的生き方のすゝめ〜

          目の愛護デーに寄せて

          私と直接、対面なさった方は私の眼に違和感を覚えてらっしゃる方もいるかもしれません。 私の眼の病気は正しくは家族性滲出性硝子体網膜症というそうです。お医者様の話によると幼少期からじわじわと視力が弱まっていく病気だそうで、まさしく私も10歳頃から見えづらくなって参りました。 小学校の検診で指摘され、山梨医科大学を紹介して頂きました。数年山梨医科大学で診察を受けましたが、その後駿河台の日本大学医学部を紹介して頂き、小6の時はじめての硝子体手術?を受けました。 その後何回か目の手術を

          目の愛護デーに寄せて

          囃子方からシテ方へ

          こんにちは。渡邉瑞子でございます。 noteを読んで下さっている方から、何故、当初は囃子方(特に笛方)を目指していたのに、シテ方に転向したのか、その辺りの話を聞きたい!というリクエストを頂きました!まことにありがとうございます🙏 ということで今回はその辺りのことを書いて行こうと思います。 もともと私は能楽師のうち、三役と呼ばれる囃子方、とりわけ笛方になりたかったというお話しはすでにさせて頂きました。 能は長く男性が演じて来た芸能ですので、掛け声を掛ける小鼓、大鼓、太鼓より

          囃子方からシテ方へ

          藝大での日々 1

          さて、めでたく?かろうじて藝大に合格し、藝大生となった私。 東京の片隅ではじめての一人暮らしが始まりました。 6人家族て賑やかに暮らしていたので都会での一人暮らしには大いに不安がありました。 足立区の綾瀬に1k六畳間の部屋を借り、東京メトロ千代田線で根津駅で降り、徒歩で上野の山を登り、朝から晩までお稽古漬けの日々です。 私の専攻科、邦楽科能楽専攻では当時、謡、仕舞、囃子謡、四拍子(笛、小鼓、大鼓、太鼓)を履修し、合間に学科の必修科目、これは確か舞台芸術に関わるものが多かった

          いざ、藝大!

          さて、野村幻雪先生との初対面を果たした私。 プロの能楽師になりたい事をお伝えしたところ、それには藝大を受験するのが良かろうと言うご助言を頂きました。 藝大、東京藝術大学には音楽学部邦楽科能楽専攻という、能楽だけをひたすら学ぶニッチな専攻があるのです。 藝大では一年次から主役をつとめるシテ方•脇役のワキ方・狂言方・囃子方をそれぞれ専攻しみっちり勉強することができます。 その時、都留文科大学の学生だった私…。これからまた一から勉強し、四年制大学に行くのか…と思うと足のすくむ思い

          野村幻雪先生との出会い

          さて、能楽師になる!と決意したのは良いものの、田舎の一大学生に過ぎない私がどうしたら能楽師になれるのか全く判りません。大学や市の図書館にある能楽関連の本を片っ端から読み漁り、また、当時教育実習をしていた母校の高校の先生に相談してみたところ、何と、私の生涯の師と仰ぐべき人間国宝 故•野村幻雪先生(本名野村四郎先生)をご紹介いただきました。 令和3年に鬼籍に入られた野村先生は言わずと知れた観世流の職分にして重鎮であり、その頃東京藝術大学の教授を務めておられ、お許しをいただき直接

          野村幻雪先生との出会い

          私か能楽師になったワケ 

          こんにちは🌸 観世流シテ方能楽師の渡邉瑞子わたなべみずこ です。これからnoteで少しずつ発信して行きたいと思いますので、お付き合い頂けたら嬉しいです。 今回は、そもそもなぜ私が能楽師になったのかお話しようと思います。 私は富士山のほど近く、山梨県都留市という所に生まれ育ち、高校を除き大学まで都留市で過ごしました。両親は二人ともお堅い地方公務員。 そんな私が、能楽師になりたい!!と強く志したのは地元•都留文科大学に在学している時でした。 都留文科大学は教師を多く輩出する大学

          私か能楽師になったワケ 

          初めまして。渡邉瑞子です。

          はじめまして。観世流の渡邉瑞子わたなべみずこ です。 私は能楽師という仕事をしております。 そもそも能とは何か?という話ですが、能は日本のオペラとも言われることもあるように謡や囃子の音楽と、舞で進行する舞台芸術です。 能面を付け、絹の装束を身に纏い、時に人間の世の喜怒哀楽をテーマにし、時に 五穀豊穣を祈念するものです。世界最古の舞台芸術であり、ユネスコ世界文化遺 産にも登録されています。 能を演じる役者は大きく分けて二つ、シテ方と三役です。 シテ方は主役を演じる

          初めまして。渡邉瑞子です。