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百人一首復習ノート・おかわり(九、一〇)

普段、現代語で短歌を詠んでいるのであって、文語に親しみたいわけでも、文語で短歌を詠みたいわけでもない。そうはいっても、永く日本人の体に染みついたリズムで、教養ある人が一度は親しんだ(無理やり覚えさせられた)歌に接することは、短歌に向き合うためには必要なことかもしれない。

教養としてではなく、あくまで自分の作歌のタネとして、作歌のテクニックという実利を期待して、「百人一首復習ノート」として、百人一首の歌の意味と解釈に触れた。

今度は、二周目として、和歌の後ろに広がる世界、短歌の持つイメージ、詩作の楽しみに触れてみようかと思っている。

一つのnoteには、2首ずつ取り上げる。2首ずつ取り上げる理由は、百人一首がペアが50組あるという作りだから。どうせなら意味のあるペアの形で触れるようにしたい。歌をまとめて取り上げる作業は、連作を作るアイデアにもなるかもしれない。

百人一首復習ノート(九、一〇)

九.小野小町(おののこまち)

花の色は うつりにけりな いたづらに
我が身世にふる ながめせしまに

(はなのいろは うつりにけりな いたずらに
 わがみよにふる ながめせしまに)

現代語詠み直し

花々は色あせるのね長い雨ながめて時は過ぎゆくばかり

『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』©2023 東直子/春陽堂書店

現代語訳(新作詩)

桜色だったはずなのに、花びらにぴたぴたと透明の雨が
落ちてははじいて次第に色あせていくのを見つめている
わたしの瞳。わたしの体にも、聞こえないほどの小さな
はじく音が繰りかえし鳴りひびいている。楽器のようだ、
わたしは、時の流れにさらされて色あせていく、桜色を
失って灰色の曇り空のようになる。

考えていました、たくさんのことを。
何色でもない透明のことを。
体を通り過ぎていくだけの透明なことを、
考えては空へと帰し、そうして私は、年を取っていた。

『千年後の百人一首』©2017 清川あさみ・最果タヒ/リトル・モア

ちはやふる百人一首勉強ノート

・たぐい稀なる美女! 伝説級の存在 実在したかどうかも謎…
・漢字ではとても言い表せない表現「万葉→新古今」仮名と草書の発達
 ・ふる:経る/古びていく/雨が降る
 ・ながめ:長雨/眺め
・夢の歌
 ・うたたねに恋しき人をみてしより夢てふものは頼み初めてき
 ・思ひつつ寝ればや人のみえつらむ夢と知りせばせめざらましを
・小野貞樹(一族の男)との恋
 ・小町:今はとてわが身しぐれにふりぬれば言の葉さへにうつろひにけり
 ・貞樹:人を思ふこころ木の葉にあらばこそ風のまにまに散りも乱れめ

『ちはやふる百人一首勉強ノート』©2022 末次由紀/講談社

感想

東さんの短歌は、長雨/眺めを残し、元の意味を感じさせるものにした。すごい。タヒさんは、「いたずらに」を透明なことを考える時間とした。詩は、短歌ほどに制約はないので、意味の重複は乗せられるけれど、それだけに留まらない、「いたずらに」過ぎる時間をどう捉えているか? 読者は情景から、その「いたずらに」過ごすことの意味まで想像できるだろうか?

一〇.蝉丸(せみまる)

これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関

(これやこの ゆくもかえるも わかれては
 しるもしらぬも おうさかのせき)

現代語詠み直し

これなのか旅立つ人も帰る人も別れてはまた逢坂の関

『現代短歌版百人一首 花々は色あせるのね』©2023 東直子/春陽堂書店

現代語訳(新作詩)

知らぬ人、知らぬ人、知らぬ人、さようなら、さようなら、こんにちは、
こんにちは、私の瞳を見てくれた、忘れてくれた、さようなら、こんに
ちは、あの人の顔を忘れてしまった、こんにちは、知らぬ人、知らぬ人、
知らぬ人のまんなかに、立ち尽くしている知らぬ人、それが、それが私。
私のことを私は、生きるためにすこしずつ忘れていきながら、すれちが
う人々の瞳の中にその欠片を、託していく。日々、溶ける手前の雪のよ
うに、預けていく。知らぬ人、知らぬ人、忘れても、いいから。目があ
う、すれちがう、それでもまた忘れていく、さようなら、私の過去が、
私の体でおわらずに、だれかの瞳を通過して消えていくならきっと、な
かったことにはならないはずだ。ここは、逢坂の関。結晶になど、触感
になど、なれないけれど、私の体温は、あなたの体温は、そこにある、
ありましたよ、さようなら。

『千年後の百人一首』©2017 清川あさみ・最果タヒ/リトル・モア

ちはやふる百人一首勉強ノート

・「これやこの」というせきこんだ様子:「行くも」「帰るも」「知るも」「知らぬも」 慌しげに mo がくり返される/でも水の流れのように流麗
・逢坂山には三つも蝉丸神社が建っている。坂の神は東西をへだてる 境の神であり関の神でもあった
・「蝉丸」というのは一般的な職業の名詞だったのではないか?
・会者定離(えしゃじょうり)別れ←→逢/知る←→知らぬ/行くも←→帰るも

『ちはやふる百人一首勉強ノート』©2022 末次由紀/講談社

感想

東さん、こちらも現代語に訳しつつ、意味を保存できていてすごい。「これなのか」「別れてもまた」という言葉のチョイスがベストだったのかどうか。橋本治さんの場合、土地の言葉を使って「これかいな」としていた。

これかいな 行くやつ帰るの 別れるやつ
知るのも知らぬも逢う 坂の関

『百人一首がよくわかる』©2016 橋本治/講談社

タヒさんは、こちらも想像豊かに、「逢う」ということがどういうことなのか、考えている。そっか… 残るものではないのね。確かに出会う人が増えるたびに何かが残っていては、溜まりすぎて身動きが取れなくなるよね。悲しい事実の発見。

※引用図書の紹介

歌人・東直子さんが、現代の短歌として、百人一首を詠み直したもの。

次は、詩人・最果タヒさんが、百人一首を詩として作り直したもの。

競技かるたのマンガ『ちはやふる』の作者・末次由紀さんが、マンガを描くにあたり、取材したメモを再構成したもの。東直子さん、最果タヒさんが詩情を感じたところが、どういった背景や人物像に立脚したものかを確認するために使おうと思う。

いい歌を詠むため、歌の肥やしにいたします。 「スキ」「フォロー」「サポート」時のお礼メッセージでも一部、歌を詠んでいます。