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49.海馬の中の記憶

姪っ子から、自分が働いている京都の料亭に
食事に来ないかと誘われた。
昼食でも1万円もする高級料亭。
敷居が高いが、一度だけ行ってみるかと、
オカンと一緒に出掛けた。

先斗町にある、その店は、ホームページで見た通り
京のお茶屋の風情を残した情緒あるすてきな店構え。
のれんをくぐって中に入ると、
着物姿の姪が出迎えてくれた。
無地の着物は、まだ23歳の女の子には地味だったが、
きちんとした落ち着いた佇まいに見え、すてきだった。
子供の頃から、やんちゃでじっとしていない子だったし、
高校時代は、髪を染めて、流行りのメイクをして、
ミニスカート姿で、遊びに出かける姿をみていたので、
急にしっとりと大人びた姿に、ちょっと胸が熱くなった。
お店で礼儀作法もきちんと教育されたので、所作も様になっている。

オカンと席につくと、姪が「お酒は飲まれますか?」と聞いてきた。
勧められるままにシャンペンを頼む。
冷蔵庫からシャンペンを取り出して、慣れた手つきで
栓を抜き、よく冷えたグラスに、少しずつ丁寧に注ぐ姪。
どうぞと差し出され、オカンといただく。
今まで飲んだどのシャンペンより、おいしく感じられた。
和と洋を織り交ぜたモダンでおしゃれな個室で3人。
急にしんみりした空気になって、
「お母さんに今の姿を見せたかったね」
といって涙した。
ちらりと横目でオカンを見ると、
やっぱり目に涙を貯めていた。
姪は
「逝くのが早すぎたわ。もう少し待ってくれていたらこの姿を見せられたのに」
と急いで涙をぬぐった。
あたたかい空気が部屋に充満した。
どこかに姉がいる気がした。


数日たって、オカンに、あのお店おいしかったよねと話すと
「そんなとこ行ったかいな?」
とまるで覚えていなかった。
いつか、姉が亡くなったことすら忘れてしまうだろう。
私のことさえ、わからなくなる日も。
赤ちゃんのとき、私がオカンにおむつを替えてもらったことを
私が覚えていないのと同じ。
でも、あの時感じた、あたたかい気持ちは
それがどんな理由だったか覚えていないにしろ
たぶん、海馬に刻み込まれていると信じている。

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