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14.封印してきた幼いころの記憶

上海から日本に帰ってもうすぐ2ヵ月になろうとしている。
今まで一番辛かったのが、怒り狂うオカン事件。
オカンにぶたれ、介護に対する大きな挫折感を味わった。

このことで、同じ境遇の人と悩みを共有することが必要と感じた。
さっそくネットで認知症の人と家族の会というのがあるのを知る。
おととい登録したので、そのうち返事が来るだろう。

サイトを見て、いろいろな症状の人がいることを知った。
うちは、まだまだ楽だなあと思った。
でも、いつか、こんなひどい状況になっていくのかと思うと、
まだ、意識がしっかりしているうちに、
本人にもこの病気についていろいろ知ってもらう必要があるのでは?
と思うのだが、そうしていいものかどうか、悩ましいところである。
自分がそうなっていくと知ったら、きっと不安で落ち込むことだろう。

今日、次姉のさっちゃんがうちに遊びに来た。
(私は子供の頃から5歳離れた長姉はお姉ちゃん、
2歳しか離れていない次姉はさっちゃんと呼んでいる。)
久々に、オカンといっしょに子供の頃の話に花が咲いた。
私がまだ小さかった頃の話、私の知らないたくさんの思い出を
さっちゃんが語ってくれた。

教育熱心だったオカンに、私たち姉妹全員よくぶたれたが、
今となってはなぜぶたれたのかよく覚えていない。
ただ、ぶたれた記憶だけが残っている。
姉によると、姉妹でよくいたずらをしていたようだ。
悪いことをしては、叱られた。
そうやって、育ててくれたこと、ずっとずっと忘れていた。

三人姉妹の真ん中だったさっちゃんは、一番しっかり者で、
オカンに頼りにされていたが、何かにつけて厳しくされたらしい。
オカンは、三女の私には一番甘く、さっちゃんいわく、
一番かわいがっていたそうだ。
ほんまか?
私には全然自覚がないのだが。
とくにオトンに遊んでもらった記憶がほとんどないというと、
「そう?よくオトンの膝の上に乗ってたで」
といわれ、そうだったかなと頭をひねった。


私は大阪で生まれ育った。奈良に引っ越したのは中学生から。
オカンとさっちゃんと私の3人で、
今度生まれ育った大阪の街を見に行こうと約束した。
それぞれが持っている記憶をつなぎあわせたら、
忘れ去られた過去が見えてくるはず。
遠い遠い小学生の頃の記憶。
オトンとオカンと過ごした時代。
今まで子供の頃のことを思い出すのはあまり好きではなかった。
あまり幸せだと感じた事がなかったからだ。
それはなぜだったか。
封印していた記憶を掘り起こしてみよう。
自分のルーツがきっと見つかるはずだ。
そして感謝の気持ちも。

(2013.6)


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