私の名前
私の名前は、父の塾の先生が付けてくれたと聞いたことがある。
おそらく、その先生は、姓名判断などの名付けのお仕事もされていたのだと思う。
父から聞いた話では、兄の名付けの時も、その先生にお願いしたそうで、その時は5つほど名前の候補を書いてきてくれて、選択できたらしい。
しかし、私の時は一択だったそうだ。
どうしてもこの名前で行ってくれと。。
この、一択しかなかった、という話は、大人になってから聞いた。
もっといろいろ考えてきてほしかったわ〜
それならもっとハイカラな名前がよかったわ〜
なんか一択って、これ以外ないって、なんか重ない?なんの意味があるん?とかいろいろと思ってしまっていた。
そしてこの時、父が、さりげなく付け足した言葉が気になった。
「この名前は、ひいばあさんの代わり、という意味もあるらしいわ。」
え?
代わり?
曾祖母の代わりてどうゆうこと?
確かに、曾祖母の名前とは最後の字が違うだけで、よく似ている。
代わり。
私の名前の最後は「代」なので、まさしく代わり感ありありだ。
誰かの代わりとかって、、私は私じゃないのか?いくら曾祖母といっても別の人間なわけだし、なんだか複雑な気持ちにもなった。
しかし曾祖母は、孫の父をとても可愛がっていて、元々は大阪で料亭をしてたのか働いてたのかなんかでお料理も上手で、しっかりした人だったようで、そんな曾祖母のように、これからも家族や父を守っていく代わり、みたいな意味合もあったのだろうか?と、ふと思ったりもした。
実は曾祖母は、私が産まれて5ヶ月後に脳溢血で亡くなっている。
この、曾祖母が亡くなった時の話は前から知っていたけれど、曾祖母の代わり、という話を聞いてから、ますます代わり感増しますやん!と、何か後からゾワゾワと感じるものがあった。
名付けてくれた父の恩師も、曾祖母がこんなに早く亡くなるとは思っていなかっただろうに、
その直前に曾孫にこんな意味合いの名付けをするとか、タイミング良すぎるやろって、ちょっとビビった。
(ま、生まれてから亡くなってるので、生まれ変わりではないのかもなんですが)
このところ、ご先祖さまに感謝やご挨拶をし始めたのもあり、ふと、この名前の話を思い出していた。
そんな名前のこともあって、なんだか曾祖母には特に思い入れがある。
ご挨拶する流れで、つい、曾祖母に今の悩みとかを問いかけてる時がある。
結局、感謝とか言いつつ、ガッツリ頼ってる子孫ですがw
で、今日はこうだった〜でもそれはこうだからで〜とか、結局、自己対話みたいになって、解決することがよくある。
これはご先祖さまの力なのか、自己対話の力なのか知らんけど、でも、どっちもそうなんだろうと思う。(私の場合、客観的になれて省みることができます)
ご先祖さまの存在を意識すると、1人じゃないんだって感じて、心強い。
うれしいときも辛い時もイライラしてる時とか、誰も見てない、自分にしかわからないようなことも全部わかって、見守ってくれているように感じる。
そう思うと、生きる力が湧いてくる。
もうちょっとがんばってみようと思えたりする。
そんなわけで、私がひいばあちゃんの代わりができてる気はしないのだけど、こんな理由で私の名前はついた。
もっとオシャレな名前がよかったなぁというのも正直なところだけれど、この名前だからこそ、
曾祖母に思いを馳せて、ご先祖さまにより感謝できるのかもしれない。
今、特にそう強く感じています。
そしてこれからも、ずっとそうなんだろうなと思っています🙏
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