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おとおとの おじぃの話

僕ら兄弟が「じいさん」と呼ぶ人物はたしか僕が小学4年くらいに絶滅してしまったので
あにはともかく僕にとってじいさんとは最後まで生きてた父方のじいさんの事を指し、
ほんの少しの記憶と親や親戚などから聞く生前の逸話によって脳みその中で立体化されている。

定年過ぎてから独学で油絵をやったり
いきなり思いつき、パラグライダーを始めたり。
とにかくアクティブでアーティスト気質なじいさん。

僕らが生まれるずっと前に家族でやった麻雀で一人だけ全然勝てず怒って麻雀牌を田んぼに捨てに行ったとか、親戚のお墓参りをまじめにやらずにいっつもお墓に背を向けて落雁(らくがん)かじっていたなんていうべらんめえな一面もあるじいさん。

いたずら心で
叔父(父の兄)が大学の山岳部でどこだかの山を登ったら内緒で頂上で待っていたとか、
これは僕の記憶にも残っているのだが3~5歳くらいの僕に「あーもう頭にきたからお前は家に帰さないってお前のおとうに電話する!」と言って父に電話するふりをして泣されていたりもした。

4人の孫の末っ子だった僕は優しくてカッコつけでべらんめえですぐ怒るうちのじいさんが大好きだけど大嫌いだった。

でも今になって親や親戚から聞く話は”面白いじいさんだった”という話ばかり。
実は凄いユーモアの人でサービス精神も旺盛で孫を怖がらせるのも周りの大人を笑わすためだったらしい。

確かに苦労して登った山のテッペンに自分の父親がいて
「おう、偶然だな。」
なんて言ってたら周りの人はそりゃ面白い。
麻雀牌捨てに行ったのだってみんなが止めるとわかってたからパフォーマンスでやったのだろうし。
墓参りに至ってはばあさん曰く「落雁なんて本当は好きじゃなかったのにかっこつけていたんじゃないか」とのこと(笑)

そうそう!僕がおつかい中に家の前の道路で野犬に襲われかけた時に木刀もって張り切って助けに来てくれたけど
助けにきたのがどの大人より遅かったのは木刀を2階にわざわざ取りに行ったからだし
他の大人を笑わす為だったんだろうな。

そして彼の葬式の日、

田舎なもんで自宅で葬式をやったのだが
それはそれはたくさんの人が弔問に訪れてくれ、
じいさんと最後のお別れをしていた。
僕はまだ死というものがあまりピンときておらず割と冷静に「正座で座るかあぐらで座るか」などを考えながら静かにしていた。
あには隣でスンスン鼻をすすりながら刺身を食べてて
父は汗を拭くふりをしながら泣いてたっけ。

あれから25年以上たった現在。

僕らも大人になり絶滅したと思われていた「じいさん」は僕らの子供の祖父になったことで無事じいさんと呼ばれることになったうちの父が後を引き継いでいる。
じいさんは世襲制だったのね。

その父から最近聞いたじいさん葬式時の話

市の職員を引退した後も役所に出入りしていたじいさんは
役所の若い子から親しみを込めて「お父さん」と呼ばれていたそうで
葬式の日じいさんの亡骸の前で1人の若い職員さんがさお父さんお父さん言いながら棺桶から離れず泣くもんだから
父と叔父はじいさんの隠し子が駆け付けたのかと思いそろって変な汗をかいたそうだ。

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