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あにの 父との登山の話

前述の通り山とギターをこよなく愛す父。
 休みの日は……いや、家にいるときはバスケットボールでもトラベリングを取られない程度にしか動きたくないあにも、何度か被害にあっている。

 小学生時代 長靴で雪渓を登らされた夏の涸沢(1回目)。
 中学生時代 兄弟で登らされた富士山。
 高校生時代 あにも人並みに反抗期だった (/ω\)キャッ
 大学生時代 涸沢(2回目)からの奥穂高からのジャンダルム。

 特に大学生時代は、少しでも山をかじったことのある諸兄ならば、行程をみるだけでうちの父が如何に無茶をする男であるかが伝わると思う。反抗期時代の仕返しかと。

 各時代に色々と思い出があるのですが、なかでも初めての涸沢、初めての山小屋は、あににとって衝撃的な体験でした。

 ご存じない方もいるかと思うので軽く説明を。涸沢とは北アルプス穂高連峰4座に囲まれた氷河が作り上げた圏谷で、その上に石垣を積んでつくられた山小屋、涸沢ヒュッテは登山家の聖地。初心者から上級者まで、山に登るなら一度は行きたい、一度いったら何度も行きたい、山男と山ガールの原宿のようなところです。少し前に石塚真一の漫画「岳」の舞台になったことでもおなじみですね。小栗くんと長澤まさみで映画化されてちゅーしてましたね。
(漫画の「岳」から引用しようと書棚から引っ張りだ出してきましたが、画力と表現力で伝えるばかりでちょうどよい文章が見つけられませんでした)
 山とギターをこよなく愛す父は、もちろん公私共に何度も訪れている場所ですが、息子を連れて行くのが夢だったのでしょう。
 どこかロマンチストな男なのです。

 そんなロマンチストと始める登山。出発は前日夕方です。
 山に行くとは言われているけども、山なんて高尾山しか知らなかった兄少年にとって、南アルプスは天然水ですが、北アルプスと言われてもピンときません。南があるなら北もあるのか…程度。
 車に載せられ車中泊。今思うと、この時点ですでに小学生の息子の初登山にしてはかなりエッジが効いていますね。

 
 ロマンチストおじさんの朝は早い。

 太陽よりも早起きした父は、予め準備していたバターロールとハムでサンドイッチを作って朝食とします。息子はテンションが上がりません。

 食べ終わったらついに登山が始まります。
 といっても登山口からしばらくは平坦な道。途中ホテルやキャンプ場などもあり「昨日ここに泊まればよかったんじゃないの?」と聞くと「これがええんや……」と、父はすでに山男の顔になっています。

  まだ吊橋になる前の横尾大橋を渡ると、ここからは本格的に登山っぽくなってきます。
 とはいっても足元が舗装されて無くて、岩っぽくなっている程度なのですが、自分の部屋から盗塁王のリード程も離れるのが嫌な兄少年にとってはエベレストの8合目もかくやという難所です。
 荷物はすべて父が背負ってくれており、手ぶらでフラフラ登るインドアメガネ小学生に対してすれ違いざまに「あらー! 何も持たないでお大名さまみたいだね!」などという皮肉をぶつけてくるおばさんハイカーに心のなかで(俺が大名だったら手打ちにしてくれるところだぞ)と毒づいたりしながら歩くこと数時間。方向感覚も距離感も時間間隔もなくなってきた頃に、突如目の前に広がる涸沢の大雪渓! 季節は夏。8月の暑い盛りに目の前に広がる雪! さすがのインドア少年もこれにはテンションが上がります。

 そんな雪渓をずるずると滑りながら登るとついに目的の涸沢ヒュッテに到着です。人生初山小屋。外にも中にも沢山人がいるし、売店もあるし、なんだかホテルのようです。
 父が受付で話をしつつチェックインの手続きをしていると、奥から「なーんだ、今日は歩いてきたの?」とか言いながらでてきたおじさんに、父が私を紹介します。おじさんは「えー、こんな大きな子がいたの!? よくがんばったねー」などと言いながら私に缶のカルピスをくれました。疲れた体に染み渡る甘味。このときほど父を尊敬したことは後にも先にもありません。
 思えばこういう家では見せない社会人としての姿を息子に見せたいという気持ちもあったのでしょう。山男が社会人なのかどうかは一考の余地がありますが。


 そしてここから確変が始まりまるのです。

 小屋の外には売店。
 時刻は昼食を取ってからしばらくたった午後。
 そこにいるのは腹をすかせた小学生男子。

 しかし弟も書いていたように、我が父はにぎり、六日知らず、ひらたくいうとケチなのです。外に遊びに行って何かおやつを買ってくれたためしがない。そんな父の甘言に乗ってふらふらと高尾山までついていく弟もなかなかのものですが、ここは北アルプス。ワンチャンあるやろ!

「父、お腹すいた…焼き鳥食べたい…」

「いいぞ」

 いいの!?

 まだ晩御飯の時間でもありません。お外に遊びに行って売店で焼き鳥を買ってもらえるなんて!
 疲れた体に染み渡る甘じょっぱいタレとトリの旨味が口の中を幸せで満たしてくれます。
 しかし小学生男子の小腹は焼き鳥程度では満たされません。

「父、おでん食べたい…」

「いいぞ」

 いいの!?

 もうおやつに焼き鳥を食べているのに、更に追いおやつですよ!?
 8月だと言うのに雪渓から吹き下ろしてくる冷たい風の中で食べる少し辛子をつけすぎた大根のなんと美味しかったことでしょう…
 あに少年、このへんから調子にのってきます。

「父、ラーメンたべたい」

「いいぞ」

 いいの!?

 おやつの時間ですよ!? ごはんの時間でもないのにラーメンなんか食べちゃっていいんですか!?
 水が貴重な山小屋で作るちょっとしょっぱめのインスタントラーメンが疲れた体に染み渡ります。

「父、おしるこ」

「いいぞ」

「父、コーヒー牛乳」

「いいぞ」

「父、ポテチ」

「いいぞ」

 どうしたの父!? もしかして宝くじでも当たった? もしかして、実は父はとてつもないお金持ちだったのだろうか……それともこれは、明日に控えた一家離散を前にした最後の贅沢なのだろうか……
 地獄の後に現れた天国に、兄少年は心もお腹も満たされ幸せいっぱいで夜を迎えました。


 夜。


 山男のご飯は


 とても多い。


 とてつもなく、多いのです。


 涸沢ヒュッテの食堂には、巨大カツと大盛りご飯を前に病気の小鳥程度しか食べれぬまま、世界ではろくにご飯を食べれずに死んでいく子供もいるというのに、自分は何という不孝な人間なのだろうと涙する兄少年の姿がありましたとさ。

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