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あにの ビッキーンの話

兄は注射が嫌いです。

 学生時代におとおとと兄弟プロレスで繰り広げた激闘のおかげで、打撃や関節技の衝撃を逃したり痛みに耐えたりする能力は、普通の文化系学生生活を過ごしてきたおじさんの中では極めて高い部類であると思っているのですが、あいつは別物です。さすがに兄弟プロレスで有刺鉄線デスマッチはやりませんでしたから。

 そんな、職業柄人と接することが多いため毎年推奨されているインフルエンザのワクチン接種すら十数年間のらりくらりと躱してきた兄ですが、やはり昨今の情勢には抗うことができず、接種を決意したわけです。

某相が「注射に弱いので針が刺さるところは見ないようにしたが、ほとんど痛みも感じず無事に終わった」などと申しておりましたが

 んなわきゃない

 そもそも細いとはいえ金属の棒を腕にぶっさして、少量とはいえ液体を筋肉に注ぎ込むわけですからね。痛くないわけがないじゃないですか。
 わかっている。わかっているんですが、そんな記事を読むと心のどこかに「もしかしたら…」なんて淡い期待をいだいてしまうわけです。


 そして接種当日。


 会場には何人もの被接種者と医療従事者。
 思えばこんなにたくさんの人間が集まった場所に来るのが何ヶ月、いや、何年ぶりであろうか。ある集団は予診票を記入し、ある集団は順番を待ち、またある集団は接種を終え経過観察のため待機をしているが、その全ての人間が一言も声を発すること無く、パーテーションで区切られた広い会場内は衣擦れの音と足音、そして各々のパートに別れた医療従事者達の事務的かつ個人情報に配慮したささやくような声が随所からボソボソと聞こえてくる声以外の音が無く、不気味な静寂を保っていました。
 そんな静寂を「誰も痛いとかツライとか言ってない…やっぱりなんともないんだ」「こんなにたくさんの人がいてみんななんともないんだ。大丈夫大丈夫」と前向きに解釈することで不安を紛らわせる兄。まずは受付に予診票、接種券、本人確認書類を提出します。
 次は問診ですよと案内され、順路を進む兄。大丈夫。会社の健康診断でも問診の前はいつも長蛇の列だったじゃないか。ここで時間が稼げる。今のうちに心のじゅn

「そのままどうぞー」

 早いよ!


 考えてみたら15分ごとに区切られた時間で予約をしているところに30分も早く到着しているのに何も言われず受付ができたということは、それだけ人数に余裕があるということなのかな!? それとも動線の設営からスタッフの誘導が優秀なのかな!? すばらしいですね!
 お医者さんにアクリル板越しに予診票を渡し、テンプレート通りの質問にテンプレート通りに答え『問題なし』のハンコをいただく。
 次はいよいよ接種本番だ。さすがにここでは多少の行列がでk

「そのままどうぞー」

 早いって!
 日本の医療従事者どんだけ優秀なんですか!

 心の準備も覚悟もできぬまま接種ブースの中に招かれる兄。中ではベテランと若手っぽい二人の看護師さんが待ち受ける。ベテランの人が打ってくれるのかな? ああ、若手看護師さんの方が打つんですね。うれしいなぁ。
 両手をだらりと下げて力を抜くように言われる。力を抜く…えっと、力を抜くってどうやるんだったかな。普段意識をしない三角筋の力を抜こうとして逆に力が入っちゃったり、いやいやこれじゃまずいなどと思っていいるうちに…

 プスッ




ビッッッキーーーーーン!!



 ほらきた痛いやつじゃないですかー! 刺突で1回、注入で1回バッチリ痛かったじゃないですかー!
……うん。でもこの擬音は大げさですね。これじゃ迷走神経反射でも起こしたみたいになっちゃいますね。実際は
  ピキンッ!
 って程度で、ちょっと体がビクンってなったくらいですけども。

 それでもベテラン風看護師さんに
「大丈夫ですか!? どこか痛かったり痺れたりしてませんか!?」
 と大いに心配されてしまいました。いいおじさんが。

 その後お注射という名の千日回峰行を終えた大阿闍梨たちが集う、経過観察のための待機ブースへ通されます。私はついにこの苦行を終えたのだと思うと世界が違って見えました。時間管理をしてくれている初老で小太りの看護師さんですらマリリンモンローのように美しくセクシーに見える。うん。どうやら荒行とは違い、煩悩はなくならないようです。

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 その後2日経過し、順調に腕の痛みと戦っております。しかしこの痛みもお注射という苦行を乗り越え、体の中に抗体価と免疫が出来上がっている証と思えばなんともありません。居間でくつろいでいると何かにつけて隣にすり寄ってくる妻や突進してくる子どもたちが、左腕にぶつかってくる度に



ビッッッキーーーーーン!!



 という激痛が走る以外はなんでもありません。
 さあ、次は3週間後の2回目接種です! ……間隔短いなぁ((T_T))

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