故郷

翌朝、母の妹の携帯電話にかけたところ、何回かけても出ない状態でした。父は2年前に少し歩けるようになった母を連れて九州に行った際、その妹さんに会いに行ったのですが、その時も会えず仕舞いだったそうです。
近辺を探しましたが、住所も覚えていないので結局辿り着けず、仕方なく島原を後にしました。
島原から諫早(いさはや)近くで急に雨が降り出し、豪雨となりました。母が妹に会えなかったことを泣いているのだと思いました。この旅の道中、父は常に母の小さな骨壷を大切に持っていたからです。

お昼近く久留米付近まで戻って来る頃には、雨も小降りになってきました。父は遺跡で有名な佐賀県の吉野ヶ里に行きたいというので、まだ小雨が降っていましたが向かうことにしました。駐車場でしばらく待っていると雨もあがり陽も射してきたので、吉野ヶ里に入ってバスで周遊しました。家内は吉野ヶ里の雰囲気を気に入り、また来たいねと言ってました。
ちなみに吉野ヶ里は佐賀県といっても久留米までは遠くありません。久留米に戻って再び父の兄の家に立ち寄りました。翌日には帰る予定で、父は初日のように自分の兄の家に、私たちは久留米市内のビジネスホテルに宿泊しました。
その夜は父と父の兄とともに、私たちが宿泊するビジネスホテルから少し歩いた場所にある小さな居酒屋の個室で夕食を楽しみました。

父の兄もがんを経験しており、何回も手術しているということでした。足腰は弱っていますがなんとか頑張っているので、父も元気づけられたと思います。
この時個室の壁にかかっていた「故郷」のオブジェに書かれている内容が、父の心に突き刺さったようで、しみじみとそうだなあ、と言っていたのを覚えております。そのオブジェには以下のように書かれていました。

故郷
月日が過ぎて故郷はだんだん小さく遠くなる。

九州を離れる当日は暑い日でした。福岡空港に向かう途中、父の意向で太宰府天満宮に立ち寄りました。駐車場から天満宮までは10分以上歩きます。天満宮ではお互い写真を撮り、これが父の生前最後の写真となりました。
天満宮までの行き帰りでは、父は一人で何か考えていたのか私たちと離れて歩いていました。その時の姿は忘れられません。命の期限を切られて自分の思い出深い故郷を後にする気持ち、一体どんな心境だったのだろうと考えると胸が痛くなりました。

天満宮から駐車場に戻る途中、ラーメン屋に入って昼食を取りましたが、結果的にこれが父と食事した最後となりました。福岡空港までの短い道中、父は自分の兄とのエピソードを楽しそうに話していました。故郷の思い出を少しでもたくさん振り返るように。
福岡空港ではフライトまでの時間、コーヒーを飲みながらレンタカー費用などの旅の精算をして、お互い別々の飛行機ということで別れました。

これが今生の別れとなってしまいました。

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