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青春!高嶺のラーメン親爺

妙心寺道(みち)馬代通を上がると
母校の府立高校がある。
詰襟の制服校だったが
校風はおおらかで、
随分とのんびりしていたと思う。
商業科だったので
「珠算」のそろばんが
必修だったが、次限の授業は
「情報処理」だという、
時代の波がうねりはじめた頃だった。 

進学する気の無い
我々商業科の連中の捌け口は、
パンチパーマや授業をサボって
たむろする喫茶店の紫煙へと
覇気無く向けられていて、
充実した学園生活などとは
程遠いものだった。 

その時の友人Mは、
裕福な家庭に生まれ育った特権で、
潤沢なおこづかいを遣って
我々仲間に随分と甘い汁を
吸わせてくれたりした。
機嫌の良い時などは、
自分を含む5、6人を引き連れて、
学校の近くにある
「ラーメン親爺」さんで
昼食を奢ってくれ、
戻ってきてからも学食でも
コーラだのジュースだのと
大判振舞いを見せてくれた。 

ところが年が変わり、
そのMだけが留年してしまった。
つらかったのか学校へ来なくなり、
ついには自主退学してしまった。
情けない話なのだが、
それを知って一番狼狽えたのは
我々グループの連中である。
Mなき後は自分の身の丈にあわせて、
慎ましやかにやりくりするしかない。
学食の中華そばが170円くらいの時に、
Mに奢ってもらった
「ラーメン親爺」さんは当然、
高嶺の花となってしまい、ついには
それからというもの今に至るまで
一度も訪れることはなかった。 

とある投稿で「ラーメン親爺」さんの
一杯を見た時、当時のことが
唐突に想い出され、
どうしても行かなければ、と思った。
居ても立ってもいられなくなる
とはまさにこの事だ。
30年、いや40年近くぶりに
訪れた店内はほぼ満員で、
常連さんとおぼしき年配層の客で
占められている。
懐かしい、というより
こんな感じだったっけ...と当時の
記憶が長年の歳月で風化しかけている。 

ほどなく、目の前に供された
一杯を見た時、何とも言えない
たまらない気持ちになった。
小さな鉢の縁を飾る雷紋や麒麟の柄が
原型を僅かに留めるくらい
薄くすり減って消えかけており、
我々が通っていた時代から
何も変わらず使い続けられているのが
手にとる様にわかる。
この鉢そのものも、もしかして
当時の仲間、いや自分が必死で
啜っていた器なのかもしれないのだ。 

ふと気づくと、カウンターには
詰襟のパンチパーマの当時の仲間が
横一例に並んで、ワイワイガヤガヤ、
うまそうに高嶺の一杯を食べている。
麺を啜る者やスープを飲む者、
箸を止めて隣のヤツにちょっかいを
出す者など、あの頃と何ら変わらぬ
高校生らしい無邪気さに溢れている。
その懐かしい面子の真ん中に、
あのMが満面の笑みで座っており、
こちらに気づくと右手を挙げ、
 こっちへ来いよと手招きした。

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