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妊娠出産の話 - 2015⑩ 12月23日(祝)

2015年の12月23日は天皇誕生日で祝日だった。
しかし、エヌは24時間365日、日祝関係なく稼働している。
面会時間内なら何時でも入室できるし、医師・看護師らは普段どおり乳児の診察とケアに当たる。
午前11時に主治医チーム・担当看護師・両親、関係者だよ全員集合のカンファレンスが予定されていた。

ちょうど、私いつ子の実母から、23日はお休みを利用してつるにクリスマスプレゼントを手渡したい&ぷくに会いにいきたい、と連絡をもらっていた。そこで、私は実母を招き、カンファレンスの間はつると遊びながら待っていただき、終わり次第エヌへ入室してもらうこととした。


10時半ごろに病院に着くと、病院の入口で実母と合流した。
つるは両親と離れて待つことに納得していない様子であったが、目ざとく「ばーたん」の持つ大きなクリスマス柄の紙袋に気付き小躍りすると、ジュース飲もうか、の甘い誘いにホイホイついて行った。
「バイバーイ♪」ちょろすぎる2歳児、つる。

私たちはいつものようにエヌへ向かった。
いつものようにエヌ面会用のロッカーに荷物を入れると、いつものように2度念入りに手を洗ってから、いつものように挨拶をして、いつものようにぷくのベッドサイドに立った。コットの中のぷく氏はいつものように目を開けてじっとしていた。
いつものように、いつものように、いつもと変わらないエヌの日々を淡々と過ごして退院する日を迎えられるよう祈る。それでぷくと一緒にここを出たら、またつるが赤ちゃんだった頃のようなお世話の日常があるのかもしれない。


カンファレンスに呼ばれた。
ふと、エヌを出る瞬間に担当の看護師さんがティッシュ箱とビニール袋をさっと持ったのが見えた。

あ 終わった

と思った。


この日に至るまで、医師とは対面するたび、あらゆる検査の同意書の「はい」に◯をつけて署名してきた。あらゆる聞き取りに応じてきた。
本日、すべての検査結果が開示され、今後についての話がある、そう聞いていた。

初めにレントゲンとCT検査の結果、続いて血液検査の結果、最後に遺伝子検査の結果が説明された。

「お子さんの疾患は、プラダー・ウィリー症候群です。」

医師らの説明はこの日も、お手本のような説明だった。簡潔で明解な告知。
どばっと涙が溢れるのを感じた。
看護師さんがスッと例のティッシュ箱を差し出す。

無言でだらだらと流れる涙をティッシュでふいてはビニール袋に捨てるを繰り返しながら、さらに今後についての説明を聞く。
書類に沿いひと通りの説明が終わると、沈黙があった。
どうも発言を待たれているようだったので、

「そうだと思っていました…」

と応じた。
質疑応答含め話は続いたが、その内容は覚えていない。
ここに書こうと思い出そうとして、内容どころか、告知以降の記憶が断片的なものになっていると気付いた。

次に覚えているのは、カンファレンスの部屋を出たら視界が揺れて、今度は涙と一緒に声が出た瞬間のことだった。どうやって泣きやんだのかは忘れた。

その次の記憶はエヌの入口で母とつるをみとめた瞬間。
ふたりの姿を見て、

おかあさん つる どうしよう 
これからどういうおかあさんになったらいいのかわからない

と思ったこと。

のちにコロ助氏が語る。
「告知のあと、その内容をいつ子さんのお母さんに伝えたところ、動揺する様子もなく『できることはなんでもするよ』と言ってくれたのが本当に嬉しくて涙目になった。」

おぼえてないのがもったいなくて涙目。


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