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日記【 ちょっとだけ怪談 】

私は特に、信仰を持たない。
お葬式はただなんとなく懇意にしているお寺さんに任せるし、
お盆や彼岸なども、大体が仏教の教えに倣っている。
床の間には大きな掛け軸に「天照大御神」。
そのことに対して特に嫌悪感はない。

人は、一年間の内に数々の区切りを持たないと神経衰弱に陥る。
正月、お花見、ゴールデンウィーク、夏休み、お盆彼岸にクリスマス。
これらの小さなゴールがあるからこそ、人は人生をやっていられるのだ。多分。

先日、母方の祖父じいのn回忌(忘却)だった。
親戚が結婚し、じいには孫が2人いる。しかし残念ながら、2人の顔を見ないままじいは逝ってしまった。

孫は男の子二人だ。
私は長男が赤ちゃんの頃、じいのお骨が置かれた大きな仏壇の前で、その子を抱っこしてユラユラ揺れたりスクワットをしたりしていた。危ない。

その長男が少し大きくなってからのことだ。
「あの人がいる」「あの人が笑ってる」と、天井近くの空中を指さす。
家族が、誰?と尋ねると、「この人」と、なんと会ったことも無いじいの写真を指さすのだ。
それを聞いて背筋がぞっとしたが、私はじいの事が好きだし、孫を見守ってくれているんだなとホッコリもした。

その長男も今は小学一年生。
しかし彼の霊感?は健在のようで、仏壇が怖いから眠れないと言う。仕方なく、お線香をあげる時以外は、仏壇の小さな扉は閉じられている。宗教的にはまずくて笑ってしまう。
そしてもう1つ。こちらの家にもやはり床の間の「天照大御神」があるのだが
「犬に見える」と怖がり、掛け軸は丸めて置いてある。不謹慎だが、こちらも面白い。
漢字を知らないと、絵とか記号に見えるのだろう。犬は得てして可愛いものだが、怖がるということはケルベロス辺りがいるのではないかと思う。

じいのn回忌の為に仏壇の扉は開かれるが、彼はお線香もあげられない。
割に、その後行ったお墓では弟と一緒にわいわい走り回っている。霊感は時と場所を選ぶらしい。

法事といえば、皆でご飯を食べるのが定石だ。
今回は親戚が、高級な焼肉屋さんを予約していた。
う。私は脂がダメなのだ。
なので、薬で何とかした。
テーブルにはじいの写真が置かれ、こちらを見てにこにこしていた。飲んべえのじいさんだった。

じいの法事はこれで最後だということで、妹も実家に戻ってきていたのだが
やはり姉と妹の服装は似ていて、私だけ違うんだな…と落ち込んだ。
いちいち面倒なヤツだ。

昼下がりに親戚と別れて家に帰ると、私は夕方まで爆睡してしまった。
とても疲れたのだった。

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もう何年も、疲れ、倦怠感が続き、やる気がわかない。
何もしなくていいのなら、何もしないと思う。
主体的には、どこにも行かないと思う。
横になっていることが多く、不安や罪悪感でいっぱいだ。
でも、猫の世話や家事はしなくてはならない。
頭の中では横になりたい横になりたいと思いながら縦になって頑張っている。

みんなみんな、いつもいつも布団に倒れ込みたいと思うものなのだろうか。

働いていて、本当に偉いと思う。

死んでしまいたいと思っているが、もしも。もしも私が
「あの人がいる」になったら、と思うと怖い。
家族に伝えたいことがあっても、喋ることも出来ないのだ。
きっと後悔する。

でも、生きていくのはとても辛い。
無職の期間が長く、かつ他人と関わることが怖すぎて一歩も踏み出せない。
人生は終わりだ。

どうかどうか、ぱっと消えますように。幽霊になりませんように。

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ありがとうございました。
のがの

















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