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日記【 アンコントロール 】

高校生くらいから既に、白髪があった。若白髪というやつだ。最近になって急に増えだして、現在は前髪がブラックジャックだ。白髪はパサつく、清潔感を損なう。染めるべきかなぁと悩むが、染め出したら無限ループだろうし、何より懇意にしている美容師さんに、今のままがいい、絶対染めない方がいい!と大変気に入られているのでこのままもぐりの天才外科医になろうと思う。

ところで今日は、首に赤いリボンがあれば完全にブラックジャックな格好でカウンセリングという名の異世界に行ってきた。いつだったか、カウンセリングルームで枯れている植物が3つ、を訂正し4つと申し上げたが、正しくは5つだった。謹んでお詫びする。カウンセラーさん、疲れてんだろうなぁ。

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今日は、おとついあった事件について話した。私が母にブチ切れ怒鳴ったのだ。今まで、そんなことは無かった。

カウンセリングに通うようになって、私が母のご機嫌取り、都合のいい道具、不幸の立て替え、感情のゴミ箱にされていたことを知った。姉も妹も父も、無意識かは分からないが、それに加担していた。家族のヒエラルキーの最底辺。私は家族全員のご機嫌取り、ゴミ箱になった。カウンセラーさんは、その絶望が自殺に至る一因になったんだねという。でも、私はそんなことを意識してはいなかった。とにかく生きづらく、この苦しみを終わらせるには死ぬしかない、未来はない、私が悪い、私はダメなやつ。それだけだった。

現在に至っても相変わらず、私は家族のバランス取り、ゴミ箱だ。これまでとひとつ違うのは、自分はゴミ箱だったと知ったこと。だから、ゴミ箱扱いしてきた家族と関わることにイライラしていた。

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3年くらい前か。母ががんを患った。残念ながら、心配する気持ちは一切わかなかった。
母のがんは、医療ドラマでよく聞く「ステージIV」だった。ああ、死ぬのかな。それでも、母の気持ちに寄り添う気にはならなかった。

私を心配して心配して
とでも言うかのように、突然家族の目の前であーでもないこーでもないと独り言を言いながらエンディングノートを書き始める。
本当に気持ち悪い。
私だったらひとりで書くわ。

結局、母は死ななかった。いわゆる抗がん剤の激しい副作用もなく、今は経過観察で病院に通っている。

それからだ。
私が居ると、「具合悪いんですアピール」をするようになったのは。

私が母のいるリビングに行くと、母はいじっていた携帯を突然ぱっと机に置き、急にぐったりし始める。
私がしばらく席を外して戻ってくると、また携帯をいじっている。それをぱっとやめて、具合悪いアピールを始める。

それが、3年くらい毎日毎日続いている。本当に毎日だ。
リビングに行くたびに胸と喉が苦しい。
なるべく行きたくない。同じ空間にいたくない。

なんだそのくらい、いいじゃないか
と思われる方もいらっしゃると思うが、

ご機嫌取り、都合のいい道具、不幸の立て替え、感情のゴミ箱。
母にべったり依存されてきたこの30余年。
まただ、また私に全部押付けてくるんだ。これが一生続くんだ。

暗澹と怒りと絶望。耐え続け積乱した私の感情のダムはついに決壊し、怒りの汚泥が濁流となって猛スピードでなだれこみ、アンコントロールになった。

それでついに、母にブチ切れ、怒鳴ったのである。
我慢ならなかった。いや、3年越しにしては抑えた方かもしれない。
母はあっけにとられていた。
汚泥を吐き出した私の心臓は、バクバク激しく鳴っていた。

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それから、母は私の前で具合悪いアピールをしなくなった。むしろ私が行くとテキパキ動き出す。いつもみたいに携帯をいじって座っていればいいものを。本当に気味が悪い。

この事件をカウンセリングで話した。

心のコップの水が溢れ出したんだね、とカウンセラーさんが言う。
実際は30余年溜め込んだダムの決壊だが、その通りだった。

しかし、私の心はまだ母のコントロール下にあり
「これは正しかったんだろうか」「私が我慢すればよかったのではないか」など、頭の中が騒がしい。
母の機嫌を取らないことへの罪悪感。
家族の、「お前が機嫌取れよ」という目。

カウンセラーさんは
私がブチ切れたことは、悪いことでは無い、当然だと言ってくれた。
むしろ、私が「これは正しかったんだろうか」等と悩む事に驚いていた。そして、のがのさんらしいなぁと笑った。

私は言い聞かせる。
コントロールされない、コントロールされない。
母がどんなに嫌味な態度を取ろうと大きな音を立てて怒りを表現しようと、私はもうお前のご機嫌取りでは無いのだ。

カウンセリング以前は
私が悪い、私はいなくなった方がいい、となんの疑いもなく思っていた。
しかし今は家族に対して「私が悪いってことにすりゃいいんだろ」という怒りを感じるようになった。
その怒りを抱くことにも罪悪感があり、いやいや私が悪い…と落ち込むので、まだまだコントロール下にいるなとも思う。

「ほう!」
この心の変化が目覚ましかったらしく、カウンセラーさんは大きな声でそう言った。そしてメモメモ。

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怒り。これは大きなテーマだと思う。
そういえばどこかで、「鬱の根底には怒りがある」と聞いた。その更に奥には、悲しみや寂しさがある、と。

私の場合は、
愛されたかった、愛して貰えなかったという悲しみ。
それが、
なぜ愛してくれなかった、という怒りに変わったのだと思う。

うつの皆さん、本当の意味で「ご自愛」くださいね。

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落語家の 故 立川談志さん。
彼はこう言いました。

「自分は間違っていると思っているんです。自分のことを。だから、正しい。」

だから
「あれは正しかったんだろうか」と悩んでいる時の自分は、正しいのだと思います。

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さ、行くぞぴのこ。


ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
のがの


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