日記【 主治医(ずぶ濡れの子犬) 】
先日、精神科のオンライン診療があった。
ののなぬなにななななささなさに(←何度も読み返して精査していたら眠過ぎて寝ながら触ってしまっていたらしく勝手に入力してあったものを時代背景を考慮しそのままとしています)
思いの丈をA4用紙に油性ペンでキュキュッとしたためて準備しておくのが私のルーティン、丁寧な暮らしだ。違うと思う。
しかし、年金診断書についての感謝と神経内科で異常なしと言われた旨以外の体調不良は、
自分はただ甘えた怠惰な人間なだけなんだよな…と思って、
書いたことを話す気がなくなってしまった。
みんなは言い訳せずに、頑張っているのではないか。
死にたいと思いながら、仕事をしているじゃないか。
そう言うと先生は
苦しみは人それぞれだから、比べることに意味は無いと言う。
本人が苦しいならそれは、苦しいのだと。
しかし、そうは問屋も社会も卸さない。
私の存在が社会にバレれば、サボるな甘えるな税金泥棒と袋叩きにあうだろうし、それが正しいと思う。
SNSなんかに書き込んだ暁には、自宅を特定されて投石される。特定屋は凄いのだ。
怖いよ、旧2chの特定班なんかはほんと。
病気か甘えか。はたまた性格か。
一度は診断書を頂き薬を飲みながら休職してみたものの、
これって甘えなのでは、ただの怠惰なのでは、病気では無いのでは。
病気じゃないなら薬は要らない。
甘えや怠惰に効く薬なんかないのだ。
薬なんか飲んだら、逆に頭がおかしくなってしまう。
という思考に取り憑かれ、減薬、断薬をしたい旨をこれまたA4用紙2枚ほどにしたため先生に渡した。何この患者。診断書出さねぇぞ。
それで、受診初期の頃に薬を減らしてもらったら死にそうになり、ほうぼうのていで病院に行ったことを覚えている。あれはほんとにキツかった。
先生はこれを見越していたんだろうと思う。しめしめ。
それでも、病気か性格か。
その問いが頭から離れない。
これはただの怠惰、甘えなのでは。みんなは頑張っているのに。薬なんか飲んで病人ヅラして。
この日の診察も、そんな事ばかり言っていた。
ほんとすみません。
すると先生が
「やることをやってからですよ」と言った。
「怠けだとか思ってるんだったら働いてみろ」と言う意味だろうか。
先生を怒らせてしまった、嫌われてしまった、見捨てられてしまった、と思って血の気が引いた。言葉が出ない。
やっと、「まずは働くとか、そういうことを、しなくちゃいけないですよね…」と絞り出す。
しかし、
「働いてからものを言え」という私の解釈が違ったようで、
先生は言葉を探していた。
「んー、なんて言ったらいいのか、言いたいことが言えてないな…」
なんて言いながら考えをめぐらしている。
「歌舞伎俳優の市川海老蔵さんの奥さん、小林麻央さんは」
先生一体なんの話しをし始めた。
先生曰く、その女性はガンでなくなったんだけれども、
できうる治療を受けないまま亡くなったと。
現代医学、化学療法などを使用せず、何か別の方法でガンを治そうとした、など。
なんだか週刊誌に載っていそうな内容だ。私は真実を知らないいし、調べるつもりもない。
先生はその例をもって、私に
「まずはできうる治療をして、病気と向き合うこと」と言った。
先生としては、病気の診断を下して治療に臨んでいるのだ。
患者はその方針に応えなくてはならない。
まずは治療に専念する。現代医療では薬しかないけれども
できうる限りの治療を受けて、病気と向き合うこと、
と先生は言う。
私には少し、理解が難しい話だった。
病気と向き合う、とはなんだろうか。先生はやっと自分の言いたいことが掴めたらしく、病気と向き合うこと、と何度も言った。
私はいつも先生に
「家族は私がいなければいいと思っている 」
「私がいない方が家族は幸せだ」
「私は迷惑な存在だから、就労移行にでも行って家から離れるべき」
等と言っている。
もう私の存在なんか景観を損ねるから死ぬべきなのだ。
先生はそれを「自責」と呼ぶ。
そして私が
「怠けてる」「サボってる」と思うことも、自責に当たるという。
これも病的だと。
本当に怠けてサボっている人は、そのようなことで思い悩まないと。
なるほどそうなのか。自責ではなく事実だと思っていた。病気なのか。ダメ人間なだけじゃないのか。
先生は、私の自責について
眉間に皺を寄せながら
「そんなふうに考えられるのは…んー、…切ない、いや、寂しい。寂しいですよ」
と言った。
それは、私がだろうか。先生がだろうか。でもなんとなく「寂しい」がしっくりくるような気もした。
迷惑をかけて申し訳ない。治らなくて申し訳ない。
これも自責らしいので、先生には言わないでおこう。
これ以上の自責を浴びせたら先生はずぶ濡れの寂しい子犬になってしまう。蒼いうさぎになって、“ 寂しすぎて死んでしまうわ ”
先生は、
「自分を責めるのではなく、もっと別に、責めるべきことがある」
とも言った。
もっと別、とはなんだろうか。「病気」だろうか。私は何を責めればいいんだろうか。
2人してうーうーわんわん唸っていたので、診察の時間が長くなってしまった。
先生は忙しいのに申し訳ない。
「またお会いしましょう」
寂しい子犬はいつも通りに優しくそう言って
リアルの診察室へ帰って行った。
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記事が長くなってしまった上に、なんの話しをしたのか自分でも分からない。
なんなら、あんまりにも支離滅裂でつまらなくて作成途中にヨダレを垂らして寝てしまった。
まずは病気であることを認め、向き合い、治療に取り組め。話はそれからだ。
寂しげな子犬は、そういったんだろうか。
子犬、もとい先生は随分若い。ヘアスタイルはツーブロック。もしかしたら私より若い。
病院のレビューにも若い先生、とある。
話を聞いてくれない、というレビューもある。
確かに、「いかがでしょうか」に始まり、
具体的な質問はなく、こちらがつらつら話すのをカチャカチャカチャカチャと入力しながら聞いている。
私が話さないと間ができて、もっとなにか話さなくてはと焦る。
別れ際も特にアドバイスなどはなく、「暑いので体調気を付けてくださいね。またお会いしましょう」で終わる。
それで、すぐに転院してしまう人が悪いレビューを書くのだろう。
でも、今回の診察で「寂しい」と言った先生は
きっと私の話を聴いて下さっていたし、何かを伝えようと唸りながら考えて下さった。
ありがとうございました。
またお会いしましょう。
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レビュー
★★★★☆
先生が子犬でした。話を聞いてるのかはよく分かりませんが、もう5年リピしてます!
のがの
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