和?

 小学校での大便は大変リスキーであった。大便個室から出てくると、一日「ウンコ様」と敬うわけもない蔑称を付けられる危険性がある。当時は、つけられた異名を笑いに変えれるほどのボキャブラリーとメンタリティは持ち合わせていなかった。

 何より、個室で用をたすに至らない理由があった。

 個室の設計に問題があった。なぜか、個室の床は他の床より高く位置づけられていたのだ。無念にも外側からヤンキー座りであの10㎝くらいの隙間をのぞき込めるようになっていた。

 私は、個室に入ったのち、半ばいじめに似た仕打ちを受けている友人を横目に生きていたため、実際に個室に入る勇気はなかった。生理現象と自制の天秤。もちろん、自制である。

 しかし、小学校6年間もいると、どうしても用を足したいときは必ず来る。それも、我慢することができないような大きな大きな波だ。

 その時は早々に現れた。

 小学2年生の時のよく晴れた日のことであった。どうも3時間目あたりからおなかの調子がおかしい。どうやら、朝食べた牛乳とバナナヨーグルトだ。確実に乳酸菌が体を追い詰めている。体に✌。

 4時間目に、解決のための緻密な計画を練り始めた。

 まず、状況を整理しよう。1-3年生は同じ階で、2年生は、1年生か3年生のトイレを使わねばならない。一つ下のやつらにまで、妙な噂が飛び交うことだけは避けたい。さもあれば、使うべきは三先生側。

 次に、行くタイミングの調整だ。昼休みの次に掃除が始まる。昼休みは、3年生男が外に出ていると予想する。さらに、2年生同期達にも怪しまれないために、5分前に遊びから抜け去る。そして、静かに迅速にミッションをこなす、5分もあれば充分。完全な計画で思わず笑みがこぼれる。にっこり。

 時間が進むにつれて、悪化する腹痛とともに、計画実行。昼休み終了5分前に抜け出し、3年生側のトイレへ。廊下から見て、案の定三年生男はほとんど教室にいなかった。途中で入ってこられたらたまったもんじゃない。

 トイレ内にも誰もおらず、意気揚々と個室に侵入していった。チャイムが鳴り、刻一刻とタイムリミットは近づいている。

 落ち着いて、ズボンを脱いで、力んでみるが、おかしい。一向に気配が感じられない。緊張か?いや。計画は完全だ。心は穏やか、であるならば??なんだ?いつもと違うこと?そこで、気づく。

 はじめましてとなる和式トイレ。力の入れ方がわからないのだ。計算に入れていなかった。考えも及ばなかった。踏ん張りが効かない。想定外の問題の発生により、心も不安定になる。落ち着かない心では、一心に踏ん張ることはできない。

 掃除の準備に来た、3年生の男たちの声が聞こえる。しかし、最終地点まできて、用を足さずに帰るわけにはいかない。踏ん張るが踏ん張るが、太ももあたりに力が入る。違う!!!違うぞ!!俺の足!!

 そうして、気づかれた。「個室閉まってね?!」と。さすが我が先輩。根本的悪ガキ思考は伝統として定着している。どこで他人の用足すシーンを除くことを学ぶのか全く。

 そして、お尻で判断された。「ふみやじゃね?」と。

 違う。俺はふみやじゃない。違うのだ。なぜ登場まで辱めるのだ。期待に応えられない惨めさがさらに追い込んでくる。いらないプレッシャー。違う圧がお尻にかかる。

 意を決して、個室をでて、堂々と歩いていった。意を決した人間は強いぞ、といわんばかりに。

 肝心なウンコは出なかったが、勇気は出た。

 

 PS 同じトイレ内にいたくなかったから、廊下の水飲み場で手を洗いにいった。当然、三年生にその姿を見られているわけもなく、長い間「手を洗わないしふみやじゃないやつ」みたいな印象が残ってしまった。その印象をキレイサッパリ洗い流すのに時間はかかった。

 

 

 

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