ガキ論 2

 貧乏ゆすりするひとの精神作用ってどうなってるんだろう。人様迷惑系ランキング、1位の受動喫煙の次にランクインすると思うんだ。明治大学受験時に、前の席に座っていたロン毛貧乏ゆすラ―は永代にして呪ってやる。

前回のつづき(ガキなり姿勢定着の背景)


 何事にも言えることだが、保険をかける行為に将来的な成長は見込めない。挑戦に付随する失敗を見込むような精神的保険に言えることだ。ミスではない失敗はいずれ成功につながるとかいうけど、失敗する目論見ありきの保険を包含した挑戦は果たして、後に反省すべき結果になり得るのであろうか。失敗を望まない挑戦、ではないのであろうか??うーん難しい。

 はい。申し訳ないのですが、この考え方だけ伝えたかった。少量、脱線してしまったから話を戻そう。これから述べていくことは、自戒であるから故、私の話ですので、一例としてご覧ください。

 「ガキなりに~」と散々申しているが、あくまで自身で主観的に世界を独断的に愉快痛快に捉えてしまっているのだ。自身をよく理解するもので構成している狭い局所的世界のなかで、超完全甘々に生きているのである。「あつまれ!どうぶつの森」より生温い現実世界で、寝て食べて、セックスしているだけなのである。

 21歳学生と聞けば、当たり前に聞こえてしまう。なぜなら、私は大学に通い、多く友人も21歳学生だからだ。しかし、中学、高校の友人を見ると、21歳にもかかわらず、子どもがいる人もいれば、もう社会人3年目になり、第一線で働きながら、自身の選択に付随する責任と日々絶えず、向き合っている人もいる。現状私なんかとは比較にならないほど、たくましい人生を送っている人が、主観外の世界にはたくさんいるのである。

 そう。21歳というのは、立派な大人なのである。「ガキ」と自ら称して、許される歳では全くないのだ。

つづく。あと一個で完成にする。

 つかれたー、7月、本読んでなさすぎるな。ネタが尽きたら、本紹介マンになるんだからストックしておかなきゃ。どーも、惰性で生きてます、21歳学生でした。


 

 

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