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別つ春

調布に着き、僕は葉子が電車から降りていくのを、手を振って見送った。新入生歓迎活動前日の決起飲み会は新入生に主役が奪われるかもしれないということを危惧した新2年生が暴れて幕を閉じた。「明るい未来に乾杯」と後輩とともに声を荒げて酒を浴びるようにして飲んでいた健司はひどく酔っており僕の横で寝ていたが、僕の手を振る腕が当たり目覚めてしまったようで、去りゆく葉子の後ろ姿に慌てて手を振っていた。

「もう調布なのか。」
「うん。酔いすぎ、」
「バイバイぐらい言いたかったなぁ。起こしてよ。」
「ああ、健司、大丈夫かなって言って降りていったよ。」
3分前の出来事だから、一言一句、葉子と同じようにマネした。口調も少し誇張してみせた。健司は無視して目を閉じていた。京王相模原線に乗り換えてくる列車を待つ時間は長い。

「葉ちゃん彼氏できたってね。」
「え?」
「あれ、聞いてないのか。彼氏できたらしいよ。」
返答に困り、言葉が出てこなかった。
「あ、これ直接喋るからって言ってたかも。」
と健司はつぶやいた。

電車が動き出した。
「葉子に怒られるから、内緒ね。」
「うん、わかってるよ。でも、健司はいつ聞いたの。」
二人の会話を遮るかのように、騒音は鳴り響いた。調布から京王多摩川までの騒音にはいつもウンザリする。
「お!とといの!あ!つ!ま!り!」と健司は騒音に負けじと大きな声で返事をしていた。僕は健司の言葉のリズムに合わせて首を小さく縦に振った。

さっき、健司が隣で寝ているときに葉子と話した際には出てこなかった。いつものように車を借りて健司と僕と葉子の三人の旅行の行先について話し合っていた。僕は、今回はいっそのこと車ではなく飛行機を使って、福岡とか北海道を攻めようと提案してみたものの、確かに葉子は泊まりになりそうな行き先は何らかの理由つけて却下していた。

電車が止まってからすぐに尋ねた。
「どこで出会った人なんだ?」
「あー、バイト先の人だよ。前行ったときにしゃべったおもしろかった人。」
「あの人かー。」

健司と二人で葉子のバイト先に遊びに行ったときに、面白い人がいるのと紹介してくれた明るくて僕より若干背が高い人だ。一つか二つ歳が上であるのにも関わらず、健司はすぐに敬語を取っ払っていた。誰にも壁を作らず、嫌味なく彼中心の会話のペースを勝手に創り出す彼の口調に自然と好感が持てた。僕は初対面の人と話すことがあまり得意ではないのに、その場の雰囲気に巻き込まれ、たくさん喋って笑った。葉子もそうだった。

そんなことを思い出しているうちに、稲城に着き、健司は立ち上がった。ドアの前で何か忘れ物に気づいたかのようにこちらに振り向き、口元に指を置いて「内緒ね」というサインを見せ、僕の反応を確認してから、よろよろと降りていった。

再び電車は動き出した。一人になったらすぐにつけるイヤホンも、今はつける気になれなかった。健司がいってしまった今、回答を失った質問たちがふつふつと顔を覗かせる。二人きりのタイミングだったのに、なんで俺にはいってくれなかったのだろうか。どちらから告白したのだろうか。本当はもうドライブすらいけないんじゃないだろうか。

心の中で小さな寂しさを感じた。その小さな寂しさの原因を酔いながら考えてみた。僕は、葉子のことを好きだったのかもしれないと思った。そう思ってしまった。そうして、心の中で一度考えに及んでしまった「好きだったかもしれない」という感情は、歯止めを効かせずひとりでに膨張を続けていくのがわかる。もしかしたらそうかもしれない感情と全力で否定する感情の葛藤。友情を越えた恋愛の在り方、恋愛には否定的な友情の教え。寄る辺のない気持ちは電車ともに揺れ動く。

ごっそり人が降りていった。多摩センターだ。2000年代の流行に取り残されてしまったかのような華奢の長髪男が細身のスーツととんがった革靴を身にまとい、装飾品をじゃらじゃらと鳴らしながらさっきまで葉子が座っていた席に座った。僕の横には誰も座っていない。香水の匂いが強く、鼻についた。僕は考えるのを止めた。

南大沢に着いた。ギャル男も降りるようで、後ろについて電車から降りた。トイレに急いで向かっていく様子を見送った。階段を上って、改札を出てからイヤホンをつけようと思ったが、やっぱりやめた。いつもよりゆっくり歩いた。街の明るさから遠く離れるにつれて、あたりはしんと静まり帰っていった。ようやく訪れた静けさは僕の心のぐるぐるをゆったりとほぐしていった。

吐く息はもう白に変わらず、春の訪れを感じた。気づけば、失恋していた。


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