ガキ論 1

 コロナの自粛期間で旧友と久しぶりに関わる機会が増えた。当時はいじられキャラで立ち振る舞っていたからこそ、存分にいじられる。大学ではありえないこの感じ。すごく良い。何よりも笑いがとりやすい。唯一の欠点は、キャラで笑いをとるようになるため、トークで落とせなくなってしまうことだと思う。うーん、二刀流で活躍したいなぁ。

 6歳のときであった友人とはもう15年の歳月が経ち、21歳、大学四年生になった。学生ではなく生徒であった中学や高校よりは、自分自身の選択行動に責任が伴うことは理解し、ガキなりに、大人としての矜持を得ようと日々を暮らしている。

 ここに私の、今すぐにでも変えなければならない、性根腐った、悪どい考え方が出てしまっている。この記事を書くにあたって、自己内省と謝罪を込めておりますため、よろしく読んでください。

 当たり前かのように聞こえるが、この「ガキなりの姿勢」というものが姿勢界隈で最もよくない。猫背なんて比にならない。前線にもいるようで、かつ一歩後ろにいけるような、前提として保険をかけて、物事を捉える姿勢がさんざん私自身を甘やかし、精神的成長を阻害してきた考え方なのである。

 この記事を通して、ガキだから大人は大概のことは許してくれるだろうな姿勢を反省し、なんとしても解決を図っていきたい。

 前述の通り、癖で「私は21歳の学生だからガキで~」と前提を自分から投げかけてしまうことが大いにある。ほとんどそう。特に、私より歳上の方々と話す際に言ってしまうきらいがある。

 なぜ、この発言を頻繁に使うようになってしまっただろうか。幼き大学一年、18歳のころは、右も左も知らない新入生であったからこそ、先輩に甘えることもでき、何やっても許される環境にいた。もしミスしても、まだ1年だもんね、という温厚極まりない世界に寄り縋ってしまっていたのだ。

そこからズル賢い私は、「ガキ」というレッテルを貼られ、「ガキ」に甘んじる快適さを覚えてしまったのだ。失敗しても、大目に見られるというのは生きやすい。怒られずにすむのである。

 そして、歳を重ねるうえで、自身でこのレッテルを相手に提示するようになり、容易に快適な環境を生み出そうとするようになってしまったのだ。

つづく。

 

 (あとがき)コンテンツにおいて、登場人物に魅力あるってこと、具体的に言えば、かわいい美しい、かっこよい筋肉もりもりとか、抽象的に言えば、映えるってことは一番大事なのかもしれないな。かっこいい、かわいいは正義!かっこいい、かわいいを追い求める人を絶対に応援します!



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