ガキ論 3おわり


前回のつづき(独断的に切り取られたガキイズム)

 「ガキ姿勢」を取り除く理由とはなんなのだろうか。なぜ、あってはならないものだろうか。心の安寧秩序を乱さないためにこれがあってもいいものではないだろうか?

 私は、その理由としてこれ挙げる。「自己内省のきっかけを得るため」だと。経験の失敗が「ガキ姿勢保険」により、思考を放棄させ言い訳にし、人間的に大きく飛躍する成長する機会を手放してしまっているのだ。

 my favorite authorの坂口安吾が言うように、自身の恥ずかしさや失敗を根本的から見つめ反省し、アプローチをかけていく。そうしなければ、いつまでたっても成長することなく、言い訳じみた甘い世界のなかで、独り朽ち果てていってしまう。

 そこで、私の骨身に浸透してしまっている「ガキ姿勢」を脱却するために、これから私は、これを目標に生きていこうと考えている。それは、「見栄、虚栄を張ってでも、最大限のパフォーマンスをする心構えを持つ」だ。

 具体的に言えば(この論の原点)、女性と飲みに行くときやら遊びに行くときに、経験値の浅さに甘えるのではなく、全てにおいてリードするんだ。たった2,3年しか変わらない歳に甘え、怯え、遅れをとるのではなく、年上に間違ってしまわれるほどの全てをつかみに行く姿勢だ。ガキだと見られたら負け。その時点で恋愛範疇からは締め出されてしまう。思うようにうまくいかず、失敗して帰って、年齢的経験値のせいするようでは、その女性と親密になることはできないし、次もないだろう。

 これはあくまで某21歳男性の経験の一例であるが、これから新入社員として、社会に出て第一線で活躍していこうと考える私ら世代にも言えることなのではないだろうかなと思っている。

 やはり、一個人として確立された自我をもつ我々だからこそ、抽象的にはなるが、賢く優れた大人になりたいものではなかろうか??そう思わない人は私のこれからの記事は読まないほうがいいかもしれないな。時間の無駄になってしまうかも。私は、幼いころ夢見た自分の崇高な目標像を裏切りたくないし、かっこよい大人になりたいと考えている。だからこそ、ガキを捨て、納得いく完全の挑戦から、意見を受け入れ、自身をみつめ、反省を繰り返して、理想に近づいていきたい。

 無根拠の言い訳からの脱却へ。以上が過去の私への謝罪文とこれからの所信になります。

 

訂正

ガキ論2の主張ががあの書き方だと論旨に合ってないし、まわりくどい。伝えたいことは、他人もお前を21歳学生だからってガキとしてみてるわけではないということ。自らをガキと称したとて。他人目線では必ずしもそう捉えられるわけではないと訴えたかった。


次は、具体的生産性に悩やんでるよ話にしようかな!次回もまたみてね~長いけど読んでいただきありがとうございました~~~!あと、前置きすべってるからやめる。

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