『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』個性主義社会は正義か。
こんにちは。
『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』
鑑賞してきました!
私は、ドラえもん映画はほぼ毎年映画館に足を運び、テレビ放送でも観るので割と多くの作品を観ているんじゃないかなと思うのですが、
今年のドラえもんちょっと新しい。
以下ネタバレありで感想をお話させていただきます。
テストもいじめもないユートピアに行きたいと言うのび太はいつものみんなを誘って冒険に出て見事【パラダピア】という理想郷を見つけます。
この【パラダピア】の創始者が今回の悪者です。
今回の悪役の目的、いきなり発表してしまいますが
「人々の心(感情)を奪い憎しみや争いのない世界にすること」
です。そのために「パラダピアンライト」という浴び続けると創始者の博士に支配されるようになってしまう光を開発しています。
みんなこの光を浴びて心を失くしてしまい
ジャイアンとスネ夫は優しくなり、しずかちゃんも上っ面だけの笑顔になってしまいます。
(のび太はこの光の影響を受けにくい体質でドラえもんはロボットなので影響がないそうです。)
みんなパラダピア創始者の支配に従うだけの同じような人間になってしまうんです。
無個性、無感情という状態です。
悪の博士の主張は
「昔から人間は争いを繰り返し殺し合ってきた」
「自分も幼い頃みんなと違うといじめられた」
「みんなを善良な人間にすれば世界は平和になる」
そこでのび太立ち上がります。
「いろんな人がいるからこの世界は面白いんだ!」
「この世界は最初から素晴らしかったんだ」
「ダメダメでもこれが僕だから!」
一連の流れを見て
「うーーん、のび太たちが正義だと子どもにそのまま見せていいのだろうか…」
という感想を持ちました。
私は昨今の「超個人主義社会」には疑問を持つことがあります。
もちろんみんな同じが良いわけではない。できる限り個性は認めて伸ばしていけば良いと思う。
でも、みんなが個性を主張するばかりでは社会は成立しないと思うのです。
「人間」という社会性を持つ動物として生きていくには社会のルールは守らなければなりません。そのルールは必ずしも自分の思い通りにはいきません。それを全部「個性として認めてくれ」と主張することは私は「正義」だとは思いません。
そして、悪の博士の意見も必ずしも間違ってはいないなと思いました。
人間が何世紀も前から懲りずに争いを続けてきた愚かな存在であることは事実で、知性と個性と感情を持ち過ぎてしまった動物だと感じることもあります。まあそんなことを言ってもしょうがないし倫理的に大問題なので博士は悪とされるわけですが。
とにかく「個性の尊重」「多様性」を全面に出し過ぎたストーリーは、なんでも素直に吸収する子供たちに見せるにはちょっと注意が必要なのではないかと思いました。
今回は友情や出会いと別れのいつものドラえもん映画とはちょっと違うメッセージ性があったなと思いました。
(他の方のレビュー見て、自分はひねくれ過ぎかも、と思いましたが、一意見ですのでお手柔らかに…)
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