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自分の幸せに責任を持つ

数年前、わたしはこれでもかというくらい自分の内面と向き合っていました。

そのときに大事にしていたテーマがこれ。
「自分の幸せに責任を持つ」です。

当時、本当か妄想かはわかりませんが、集合意識?というか「街に漂う感情」が濁流のように心に入り込む時期がありました。

街によって感情の強さは変わります。

そこはかとなく感じられることもあれば、あまりに感情が強すぎて我慢できず大泣きしたこともありました。

そのとき感じたのは、わたしの感情ってわたしだけのものじゃないんだなってことです。

だから、わたしが幸せでいることは、誰かのためになる。
だから、幸せに対して本気にならなきゃいけない。

そんな感覚を覚えたんです。

自分を悲しませるものには怒って良いし、もっと排除して良いし、幸せを感じることに真剣にならなきゃ。って感じ。

何十年と生きていて感じたことのない想いだったので、我ながら「なんじゃこりゃ」と懐疑的になりつつも、みんなが幸せに責任を持ったら幸せな人が増えるよなー人生もっとラクになるのかも?も思ったんです。

この価値観、昔は違ったと思うんです。

誰かの犠牲になりたつ幸せ、とか。
わたしが我慢すれば誰かが笑顔になる、とか。

そういう感覚が美徳として捉えられる時代があったはず。
でも、もう変わりつつあるんだと思います。

自分が幸せを感じることで、
周りも笑顔になるんです。

まず自分が幸せじゃないと、
誰かに幸せを分け与えられない。

こんな感じに、ね。

というか時代の流れが変わらなくても、
わたしはこっちの考えを発信し続けます。

そう心に決めるくらい、あのとき感じた「感情の塊」は強烈でした。

そもそも、みんな泣いているより笑っている方が素敵です。
限りある命の時間なら、楽しい時間が多い方が良いかなと。

みなさん、もっと自分の幸せに貪欲にいきましょ。

てな訳で、わたしは今日も手抜きな晩御飯をぶちかまし、歌を歌いながら踊り狂って楽しい夜を過ごそうと思います。

って話をなぜ今綴っているかと言うと、最近やたらあの時のことを思い出すんですよね。

フラッシュバックするんです。

人目もはばからず泣いた自分とか、美容室に行って心臓バクバクしたり電車乗って周りの人のイライラもらってよくわからないけど怒って帰ってきたときのこととか。

そのたび「あんなに感情をまき散らして生きているなら、もっとハッピーに生きたい」と祈るような気持ちになっていたんです。

突然、そんな気持ちになる瞬間もあります。

よくわからないけど、何か意味があるはず…
そう信じ、改めて綴らせて頂きました。

ひとの感情は、身体に収まるほど小さく弱いものじゃありません。
それを認識することで何かが変わるかもしれませんよね。





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