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死は別れではなく旅立ち

これまで「死」は終わりだと思っていました。

その先には「無」が広がっているだけ。
後にも先にも何もないと感じていたのです。

先日、身内が亡くなりまして。
「死」に対する価値観が180度変わりました。

「死」は旅立ちです。

身体という器から解き放たれて、
魂としての新たな旅がここから始まります。

言うなれば、葬儀は出発式。

みんなに見守られながら、
旅支度をひとつずつ進めていきます。

お線香の煙は、
道しるべです。

初めての旅ですし、後戻りはできません。

常に足元と行先がわかるよう、
わたしたちが灯りをともし続けます。

花入れはお餞別です。

付き添いのない旅は寂しいものです。

寂しくないよう、
無事に辿り着けるよう、

お守り代わりにわたしたちの気持ちを花に込めます。

もちろん忘れ物があってはいけません。

一緒に、丁寧に、
みんなで持ち物確認をして

「じゃあ行ってくるね」

わたしたちから見ればお別れの儀式。
故人にとっては出発の儀式。

葬儀の言われや本当の意味はわかりません。
あくまでも私の目にはそう映っただけです。

しかし今回の別れを通して、
残された者の振る舞いを学んだ気がしました。

もう二度と会えない、と涙する人。
故人が苦しみから解放された、と安堵する人。
出会えたことに感謝する人。
死について考える人。

それぞれの想いで旅立ちを見守るのが、
葬儀であり、人間ができるお別れなのでしょう。

なぜそう思うかと言うと、
《 鶴さん 》がやけに静かだったのです。

「俺の出る幕ではない」と。

器を持たない鶴さんにとって
「死」は通過点でしかないのかもしれません。

身内の体調が悪いと聞いてから2ヶ月。
心も身体もせわしない怒涛の日々でした。

しかし、故人の旅は始まったばかり。
初めてだらけの旅は困難も多いと思います。

いずれわたしも経験する旅です。

そのときが来るまでは、
わたしも負けないように。

しっかり今日を生きようと思います。


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