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恩師の話

恩師から手紙が届いた。

5月7日、ゴールデンウィーク明けの金曜日だった。

きっと忙しさから抜け出したゴールデンウィークにやっと返事を書いてくれたのだろう。



送り主は、中学1年生のとき国語を担当してくれていた女の先生だ。

担任でもないし部活の顧問でもなかった。
ただ国語を教えてもらっていた先生。



当時私は暗闇にいた。

人に怒られないように毎日必死に努力して、人に会う度に緊張して、笑顔を作っていた。

夜眠りに入っても緊張していて、夢の中で目覚まし時計が何回も鳴って、何回も起きて夜中に間違えて朝ごはんを食べようとしたこともあった。

自分にウソばかりついていたから、周りの人も信じられなくて、どうがんばってもうまく人と関われなかった。

まるで自分が誰かに動かされているみたいだった。


でも、休む間なく繰り返される日々のせいで、自分の苦しみに目を向けてあげられない毎日。

だからいつも通り笑ってた。


そしたら、自分の武器であり盾でもある「笑顔」を無理に作っていたことが、

国語を教えてくれていただけの先生にバレた。

国語を教えてくれていただけなのに、気づいてくれた。

授業後に前の方の席だった私にわざわざ寄ってきて「大丈夫?」と言ってくれた。

私はうまく答えられなかった。

「え、なんで、、?」

「なんか最近元気ないな〜と思って、」

この後なんて答えただろう、よく覚えていない。

ただその後やってきたお昼休みに、なぜか涙が止まらなくなって、1人で涙を隠しながらごはんを食べたことは、はっきりと覚えている。

「あ〜私つらかったんだね」そうやって初めて自分に声を掛けてあげられたから。



その日私は先生に手紙を書いた。

ありがとうございます。でももう大丈夫です。だって先生が気づいてくれたから。

「くれるの?先生に?ありがとう」
そうやって笑ってくれた。


それ以降はわざわざ話しかけられることはなくなったが、いつもそっと私を見守ってくれた。

その瞳のあたたかさがどれだけあの頃の私を支えてくれただろう。

目の前しか見えずに苦しんでいた私に外からそっと手を差し伸べてくれた。

その手に私は触れただけだったけど、そのぬくもりはずっと伝わってきて瞳の温度をあたためてくれた。

その手をずっと動かさないでいてくれた先生。

先生がいたから私は学校で、「私」として、生活することができた。



しかし先生は出会って1年で転任してしまった。

別れる最後にこんな手紙をのこして。

○○ができる、とかではなく、あなたの佇まいや心持ち、温かい雰囲気が、周りの人をふんわりと包みこんでくれるのだね


この言葉にもどれだけ救われたことだろう。

先生は私の手に寂しさとぬくもりを残したまま、遠くの街へ行ってしまった。



私は先生がいなくても、先生がいた頃のように生活できるようになっていた。

わかってくれている人がいる、そう思えたから。







あれから約8年、とても短かった。

私は20歳になって、ふと先生のことを思い出したのだ。

先生、私は20歳になりました。
でもまだまだ子どもで、何になりたいのか何をやりたいのか、まったくわからないです。
でも人は好きです。
あと自分も大切にしたいです。
あのころ、大勢の中から私の小さな変化に気づいてくれたこと、ずっと感謝しています。
国語の先生にはなりたくないけど、私も先生のように人を優しく包みこんであげられるような人間になります。
先生、元気でいてくれればそれだけで嬉しいです。




新成人、おめでとうございました。
おそくなりましたが、お式ができたこと、そして仲間のみんなと再会できたこと、ほんとうによかったです。
ふと昔を思い出して思い返した時、その場面に私が居たのだとしたら、私はほんとうに幸せ者です。
自分の中で大切なものがはっきりと確立していて、感じられるのは、ほんとうにすてきな二十歳の大人の女性だと思います。
あなたのすてきな毎日とかがやきいっぱいの未来を信じている1人です。
いつも応援しています!
また逢う日まで…


まだ私の手に、あの頃のぬくもりが残っていた。


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