日記 1月9日・10日・11日
1月9日(火)
朝、寒くて布団から出られない。7時50分に家を出るのに、布団から出たのは7時20分。家を出るまで30分しかないので朝食を食べられず、やかんで沸かした湯を飲んで出勤した。
学校は今日が始業式だ。だが、生徒は昼前に下校するので、今日の午後は休みをとって耳鼻科に行くことにした。
12:30に退勤し、家に帰る。昨日作ったキーマカレーが鍋にあったのでそれを温め、納豆を出して納豆カレーにして食べた。納豆カレーを知ったのは中学校の頃。同じテニス部の子が「納豆カレーうまいよ!」と言っていた時には衝撃を受けたが、高校のアルバイト先のCoCo壱で試しに食べてみたら美味しかった。それから時々食べている。
昼食を済ませ、耳鼻科の受付開始の時間まで引っ越しの荷造りをする。花瓶や陶器のオブジェなどの割れ物はプチプチで何重にも巻いて頑丈に梱包する。家にあるもの、すべて宝物だから何一つ割ってたまるかという一心で気合いの梱包。これだけやれば割れないと思う。1つ1つぐるぐる巻いていたらあっという間にプチプチが無くなってしまい、Amazonで追加購入した。あさって届くらしい。
壁に掛けていたものも1つ1つ外して、少しずつだが部屋がすっきりしてきている。お気に入りのものたちを、段ボールの中に続々としまっていく。部屋に漂っていた私のにおいみたいなのが無くなっていって、よそよそしさを帯びてくる。
ずっと、引っ越しが寂しいと思っていた。一人暮らしが終わるのが寂しいと思っていた。でも、この寂しさの中身を、うまく言い表せない、なんと表現したらいいかわからない、と思っていた。
でも、今日、やっとわかった。大切にしていた部屋から、私のにおい、雰囲気みたいなものがなくなっていく。この部屋が、よそよそしい顔をしはじめている。
4年近く住んでいたのに、自分の手からこの部屋が急速に離れていく感じが、とてつもなく寂しかったのだ。このよそよそしさに、戸惑っていたんだと思う。私の手を離れたら、この部屋はまた別の誰かが借りて、暮らす。私が一人ここで暮らした痕跡がなくなって、私がここで暮らしたことは、私だけが憶えているんだな。一人暮らしって、そういうことなんだ。
時間になったので耳鼻科に行って、受付をして30分ほど待ってから診察を受ける。60歳後半くらいの男性の医師が、私の耳を見て「外耳炎だね~腫れちゃったねえ」と言ってにこにこしていた。吸入をして、支払いを済ませ、薬局に行って薬をもらった。
そういえば、私の後の診察は5歳くらいの女の子で、看護師さんたちに「えらいね~かしこいね~お利口だねえ」「おお~すごいすごい!」と褒めちぎられながら治療を受けていた。看護師さんたち、実家の犬に話しかけるときの私にそっくりだった。
家に帰って再び荷造りをしていたらへとへとになってしまい、18時半頃力尽きた。物が多いので、荷造りがなかなか終わらない。だから私よ、耳のほじりすぎで外耳炎になっている場合ではないのだ。引越しという大イベントを前に、耳のほじりすぎで外耳炎になるなんて、心底自分に呆れてしまう。
疲れて冷凍のご飯をレンジで温める気力も起きず、Uberで吉野家の牛丼、味噌汁、お新香を注文し、もりもり食べる。牛丼を食べたら風呂に入る気力が湧いたので風呂に入り、日記を書いた。これが書き終わったら寝る。明日はせめて7時に起きたい。
1月10日(水)
7時10分に起きる。昨日より10分早いから、朝食を食べる時間ができた。ただしゆっくり食べている時間はないので、冷凍していた米を温め、卵かけご飯を食べる。台所で立ったまま、ずぞぞぞーっと啜る。卵かけご飯は、まず茶碗に生卵を割り入れて溶きほぐし、その中に米を盛るのが好き。こうすると、生卵のなまぐささが消えるのだと小林カツ代さんの料理本に書いてあった。米の熱でほんのり卵に火が通った部分と、完全に生の部分が楽しめる。
今日は職場で、なぜこんなにも時が過ぎるのが早いのか、どうして人の記憶は薄れていくのか、そういうことを17歳年下の人と話をした。13歳の彼はとても博識で、好奇心旺盛で、30歳の私よりうんと物知りだ。だからよく、いろんなことを教えてもらう。話をしていると、彼の持つ知識の深さに圧倒される。年齢なんて記号でしかないのだということも、いつも彼から教えてもらう。
そういえばこの前は、「重力加速度」について教えてもらった。最初彼が説明してくれた内容では理解できず、「どういうこと?」と聞き返すとちょっと呆れた顔をしながらも、分かりやすい言葉で教えてくれた。
時の流れの速さや、記憶について話をしていたとき、彼がぼそっと言った。
「記憶がさ、人格を形成するんだよね」
「えっなんでそんなこと知ってるの?その通りだと思うけれど」
「今まで読んだ本の中に書いてあって、これがすごく賛同できる内容だったんだよね」
その人をその人たらしめているのは、記憶なのだ。この言葉を彼から聞いたとき、自分の背中のずうっと後ろから、あるいは過去から、ピカーっと光が差してくるような、そんな気持ちになった。
幸せな記憶も、あるいはそうでない記憶も、私がそれらを忘れていたとしても、ただ思い出せないだけで私の体は憶えている。そしてそれらの記憶全てが私をつくっているんだね。
教えてくれた言葉を忘れたくなくて、彼との話が終わったあと、ひっそりと書き記した。
1月11日(木)
日高屋に天使がいた。
仕事終わりに夕飯を作る気になれず、日高屋に行った。席につくと、テーブルの上にどんっと置かれるはずのお冷がそっと置かれた。びっくりして店員の顔を見ると、18歳くらいの女の子がにこやかに「ご注文がお決まりになりましたらお声がけください」と微笑んでいるではないか。ここは本当に日高屋か?日高屋に天使がいるぞ…。
いつものごとくメンマとキムチ、焼き鳥のネギ和えが載っている3品盛り合わせとビールを注文する。その人は、注文をとりにきてくれる時も、品物をテーブルに置くときも、終始笑顔。いいんですよそんなに頑張らなくて…と思うが嬉しいのでこちらもにこにこと対応する。
彼女がまとっている雰囲気、中学校の女子ソフトボール部っぽいのだ。底抜けに明るくて、ご飯をよく食べて、よく笑って泥だらけになっていたあの子たち。クラスの人間関係とか、理解不能な教室内の順位付けとか、そういうものとは無関係かのように、いつもグラウンドの中心で笑っていたあの子たち。中学校の頃、ソフトボール部にとくべつ仲良い子はいなかったけれど、あっけらかんと明るい彼女たちが、けっこう好きだった。
ぼけーっと酒を飲み、つまみを食べながらそんなことを考えていたら、ビールにレモンサワーにハイボールと結構なハイペースで飲んでしまった。気分が良くなって、ほろ酔いで家に帰った。
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